山となり塵となり

もう随分と昔のことになるが
長崎の原子雲の写真を見て苦しんでいる顔のようなものが
見えたと言ったら、当時仲の悪かった連中から
かなりのバカにされた覚えがある。
いつもはくだらない作り物の心霊写真にマジになっている奴らが、だ。
当時小学五年生、もしかしたら被爆や反核について
知らない上に難しい話のように聞こえたからかもしれない。
それから数年後テレビでアジアの留学生が長崎の原爆資料館に
見学にきた映像が流れていた。その時に留学生が口を揃えて
「この雲には顔が写っている、悪魔の顔かもしれない」
と言っていたのを見て溜飲が下がる思いだった。
正直なところ、原爆と聞くとどうしても辛い思い出が蘇る。
中学生の時に平和教育の一環で写真を掲示する役を
一人でやらされたのだが、その写真というのが
原爆による被害の写真だった。その写真の内容は被爆者の方に
悪いので詳しくは書かないが、とても正視できるものではなかった。
小学生の時に「はだしのゲン」を給食の前に見せられて
給食が喉を通らなかったことがあるが、その比ではなかった。
アニメと違い生々しい写真なのである。しかも炭化した少年の写真や
えぐれた内臓、着物の柄が皮膚に焼きついたまま取れなくなったり
それはもう多感な中学生にとって強烈すぎるものであった。
(書かないといっときながら詳しく書いてしまった…)
スプラッタホラーなどを見ても何とも思わなかった自分だが
あれは作り物だとわかっていたから平気だったのだ。
しかし今回自分で掲示させられた写真は違う。
実際に50年前に起こった事実なのだ。
それからしばらくは目を閉じただけでその写真の光景が
リアルに浮かんできた。目を閉じただけではすまなかった。
電気を消して暗闇になると目に、心に浮かんできた。
しばらくは電気を消して眠れなかった。
それまで原爆の被害写真というと
黒焦げになったお弁当や
影だけ残った壁の写真といった
比較的ショックの少ないものだったが
それはほんの序の口だったのだ。
そんな写真を掲示しているうちに
ある確信が僕の中で固まりつつあった。
「これは戦争なんかじゃない、戦争の名を借りた人体実験だ」
当時、教科書問題とかは全然無く「日本が全部悪い」というのが
絶対的な風潮であった。
だから「戦争なんかするから原爆を落とされた」
という考えの人がたくさんいた。僕も「日本が全部悪かった」
と思っていたけれど、この「平和教育」によって
別の考えを呼び起こされた。随分と話が逸れてしまったが
結局この経験がトラウマになってしまい広島・長崎の両資料館には
足を運ぶという勇気が湧かない。
修学旅行が関係の無い所だったのが
救いだったが、高校の修学旅行で沖縄に行った時に
似たような経験をすることになるのは、また別の話。
アメリカの原爆投下による虐殺及び人体実験の被害に遭われた方の
冥福を心から祈ります。
2002年08月09日(金)

Dag Soliloquize / tsuyo