体脂肪率は11%

少し前、携帯電話を川に投げ捨てそうになったことがある。
自分がこの小さな機械に縛られているのが
とてつもなく嫌になったからである。
もちろん投げ捨てそうになったのはそれ以外にも
嫌なことがメールで送られてきたというのも大いにあるが、
とはいえ、随分と携帯電話という機械が
偉そうになったもんである。
この機械の登場によって
プライベートなんていう概念は
消え去ってしまったのではないだろうか。
少なくとも深夜の寝静まった頃に朝五時に起きて出頭せよ!
などという無理難題はこの機械が無ければできないだろう。
そして公共性というものも失われてしまったのではないだろうか。
本来なら公共の場で大声で痴話喧嘩するバカは見かけなかったが
今や携帯を使ってバカ以上に騒いでいる。
それ以外にも混雑しているにもかかわらずメールを打ったり
暇があれば携帯を弄り回している携帯中毒者など実に様々だ。
映画を観ている最中に弄っている人間は
一体何をしに映画館に来ているのか非常に疑問である。
そんなに携帯ばっかり弄り回しているのなら
携帯と結婚してしまえば良いのにと思うような人物までいる。
とにかく世の中携帯に支配されている人間が多すぎる。
もちろん、携帯によってコミュニケーションの幅が広がった
という人もいるが、そのコミュニケーションも
実はうわべだけの物だったとなればどうだろうか?
そもそも携帯のメールによるコミュニケーションは
コミュニケーションと言えるのかどうかすら怪しい節がある。
文字だけではわからないことがあるし、最も恐ろしいのは
文章の内容を誤解され、悪意あるように捉えられることである。
本人にいくらその気が無くても、一度思い込んでしまえば
その思い込みはなかなか覆すことができない。
そのままその人間に絶交されてしまうなんていう事態も
あったりするからおそろしいものである。
中には実際に会ったり話したりするより、
メールの方を信用するなんて人もいるかもしれないし、
反対にメールでしか本音を出せない人なんてのもいるかもしれない。
確かに便利であるのは認める。
しかし、便利になって失ってしまったものもあるのではないだろうか?
少なくともこんな小さな機械に支配されるのはゴメンである。
2002年06月22日(土)

Dag Soliloquize / tsuyo