| さらば和田豊 |
世間は長嶋引退についての報道で加熱しておりますが、 昨日の阪神ー巨人戦は私にとっての偉大なプレイヤーの引退試合であった。 その男の名は和田豊。阪神タイガースを長年支えてきた内野手であり、 凋落の一途を辿る阪神にとってチームを引っ張ってきた男である。 85年の優勝以降低迷を極め優勝時のメンバーが次々と引退する中、 彼は戦い続けてきた。往年の掛布やバースのような派手さは無いが そのコンパクトな打撃でヒットを量産。97年には開幕24試合連続安打 という記録を打ち立てている。また守備の方でも技量を見せ、 細かい数字は忘れてしまったがこちらも記録を作っていた。 記録ばかりになってしまうが、一シーズン58犠打という記録も 持っている。(残念ながらこの記録は塗り替えられてしまったが…) その男がついに引退してしまう。彼は引退セレモニーのスピーチで 「もう一度優勝したかった」 という言葉を残している。おそらく本音であろう。 入団したその年に優勝を経験して以来16年間優勝とは縁が無かった。 92年に優勝争いを演じたもののその年は2位に終わっている。 その後はチームも転落の一途をたどるだけで、 明るい話題はごく少数であった。 その中で彼は気を吐きつづけ、ベストナインやゴールデングローブ賞などを 受賞し、オールスターにも出場した。しかし、97年のヤクルト戦で デッドボールを受け負傷。その後のシーズンを棒に振った。 その後も彼に災難は降り続いた。監督が野村克也に代わったのである。 彼自身の能力は疑いもなかったが、年齢による守備範囲の縮小と、 野村監督による若手中心の采配により出場回数は激減した。 今年に入ってからは打撃コーチを兼任するようになり、出場回数は より減ってしまった。だからと言って影響力がなくなった訳では無い。 自身選手会長を務めた事もあるほどの人望を備えており、 若手からも慕われていた。研究熱心でもあり打撃コーチとして 来年度の入閣が決まったのはそのせいであろう。 引退セレモニーのその時、彼は定位置であるセカンドのポジションで 胴上げされた。しかし、この胴上げが優勝によるものならと どれだけのファンが思ったであろうか。 セレモニーの途中から彼は大粒の涙を流していた。 それは、志半ばで引退する彼の無念さも含まれたいたのだろう。 その涙に惹かれ、目頭を熱くしたのは私だけでは無いはずだ。
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2001年10月01日(月)
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