遠くへ

人はどこに向かいどこへ行くのだろうか?
遠く我々人類が猿人とそう対して変わらなかったとき、
人生に価値観を見つけ得たであろうか?
そして、人類はいつ人生というものを考え始めたのだろうか?
それは明確な自我を持ち、感情というものを
はっきりと出来る様になったからであろうか?
もし感情というものが無ければどれだけ楽に生きることができるだろうか?
感情とは何故こうも厄介なものだろうか?
人間に感情というものがあるから争いは絶えず、悲しみを生み出す。
いっそ、人間に感情というものが無ければこの世は平和ではないだろうか?
人生とは永遠に続く悲しみだと私は思う。
その悲しみはいつ晴れること無くつきまとう。
時折その悲しみを打ち払う喜びが訪れる。
が、しかし、それもまた一時の気休めに過ぎない。
再び悲しみが訪れる事は変わらない。
日が沈み夜が来ることと同じように、悲しみは忍び寄ってくる。
悲しみの底で打ち震え、怯えるのであれば、
いっそ人生そのものを精算したくもなる。

人生が悲しみなら、運命は残酷と言うしかないだろう。
人が人生の悲しみを打ち払え無いのと同じように、
人は運命に逆らうことができない。それがどんなに残酷で皮肉なものでも。
人の数だけ人生がある。その数々の人生が積み重なって運命が成り立つ。
偶然と必然を伴って。
その偶然と必然は歓喜をもたらすこともあるが、
そのほとんどが失意のどん底に突き落とす。
それは人の感情や意志とは関係無しに…。
2001年09月05日(水)

Dag Soliloquize / tsuyo