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| 2003年11月14日(金) |
藤木様@雑誌インタビューについて思うこと |
この人は、すごく役割分担というか、分業ができる人なんだなぁと思った。もちろん、役者さんの中のほとんどの人が役者が本業で役者だけやってるんだけど、それに実際どのくらいの人が現場で、自分以外のセリフや動きにまで必要以上に注文をつける人がいるのかっていうのはわからないものね。ただ、舞台出身の役者さんがスクリーンやテレビに出る場合、舞台と映像は別物なんだけど、舞台の役者さんて、脚本、演出、出演を兼ねてる人多いからね。マルチっていうか、色々見えちゃうって人が多いと思う。映像やってる人でも、実は監督希望だったとか、役者やってるけどいずれは監督もとか、動く映像とは違うけれど、カメラ本格的にやったりとか、自分が現場にいて、一役者ですよ、という時に、出すか出さないか、もしくは出したとしてそれが求められているタイプの人なのかそうでないのかとかもわからないけれど、この藤木直人と言う人は、役者として自分の配役されたものに対してわからないことや、納得できないことは動けないから監督や原作者なりとお話はされるみたいだけれど、それはあくまで自分の役柄の動きや感情のための情報であって、決して無理して映画全体を把握しようととかしない人のような気がする。それはいい加減ということじゃないし、積極的にしようとしていないけれど、頭のいい人だから見えてきてるのかもしれないし、ただ自分自身に今与えられた本分をまずマットウすることに、すごく真摯になっている、そんな人なのかな、と思った。すっごく悪い言い方をすると、他人に興味がない、っていうくらいになっちゃうのかもしれないけど。
もちろん今回の「g@me.」は「ドラゴンヘッド」に続く、本格的な映画の出演で、しかもダブルとはいえ、初主演なわけで、それなりに看板っていう責任感やプレッシャーっていうのは感じていたと思うけど、圧迫されすぎないように、上手にコントロールができるというか、頑張ってそうしているというか、まず、自分の役どころを押さえて作品の中でどういう役割なのか、それさえきちんとしていればおのずと見えてくる、出来てくる、そう、ある意味他の役者や監督、スタッフを信頼しているからできるのかもしれない。不器用だからそうしかできないのかもしれない、でも、あれもこれも、っていう感じがなくて、「貪欲」さみたいなものを欲しがるつくり手側には、ものたりないかもしれないくらい、今回だったら、まずは佐久間っていう役を考えるっていうことにかなり集中して、それが全体に繋がるんだっていう考えの人なのかな、って思った。
それは音楽にもいえることで、彼はギター小僧からはじまったから、歌う、なんてことは当時考えられなかったらしいけれど、今はそれこそ、オモイッキリ看板でツアーやってるわけです。だから歌もギターももっとうまくなりたい、って常に思っているみたいだし、ツアーのコンセプトや構成なんかも積極的に話しに加わっているし、そのベースになるアルバムというか曲つくりにも、かなり考えを伝えていっているみたい。でも、ここでもなんでもかんでも、っていう手の広げ方っていうのはしようとは決してしなくて、自分が今やらなくちゃいけない、っていうことに関しては練習もするし、いろいろ考えるしってことなんだろうけど、もっとプロがいるから、そこのところは任せておけばいいんだ、って、これもいいスタッフに恵まれてるから言えることかもしれないけれど、安心して自分の仕事をやれる人なんだな、って思う。ここもあっちも、すみずみまで、何もかも、自分で細かくチェックしないと落ち着かない人も居ると思うんだけど、そのうち、CDなんかは全部自分が楽曲つくりからアレンジから演奏からやっちゃう、ミックスダウンだっけ?トラックダウンだっけ?なんかそういう音のバランスも全部やっちゃう、っていう人結構いるけど、それはそれで才能があって無理ない形で自分の音つくるのにそれがふさわしければ、やればいいと思うんだけどね。方法はそればかりじゃないぞと、今、才能があって、と書いたけど、才能がないから出来ないという消極的考えより、才能があったとしても、たまにはそういうのもいいかもしれないけれど、色んな人の手でつくるっていうか、自分よりも長けた人がいたら、任せちゃう。で、今自分が、もっとも力を入れたいところに専念する。全体にはもちろん「こういうのがいいのでは?」とアイデアは出しあうけれど、まとめる人は他に居る。こう、最近のミュージシャン、アーティストって言うんですか、いつからか・・・は、ほとんどみな、自作自演なわけですが、もともと楽曲提供してもらっていた人が段々自分で作るようになることを誉めるというか、成長みたいに言う傾向があるでしょ?それはそうなんだけれど、それで作れるようになったところで「らしい曲」っていうのとか世界っていうのが出来て、いいのかもしれないけど、限界があるっていうか、それはその人個人の限界というより、受け手がわに限界があるっていうか、ずっと自分たちで作ってやってきたんだっていう人たちの世界っていうのはスゴイものがあって、それはすばらしくて、限界がなければどんどんつきすすんでいけばいいと思う、一方。簡単に言うと、はまらないと「同じ曲」ばっかに聞こえるんだよね。この曲は好きだけど、アルバム全曲、この感じで(曲調は変わるにしても)この声でって、つらいっす、みたいな。その点で、自分(たち)の世界っていうのができあがってからでも、同じ世界を共有できる人、もしくは新しい風を吹き込んでくれる人、異質な人、色々とコラボレーションではなくて、楽曲提供っていうのを受けるのはいい事だと思うんだよね。人のつくった歌、歌うっていいと思うんだよね。以前にさださんは曲か詞かを友達に依頼して合作ばっかりでアルバムを作ったことがあって、新鮮だったし、その中で名作というかライブで人気の曲もかなりあるもの。 話がそれたかもだけど、藤木直人はもともと、役者になったギター小僧だったので、色々教えてもらいながらここまできて、自分でも曲を作れるようになって、好きな曲もいっぱいあって、もっと作って欲しいなって思うけど、今、プロデュースしてくださっているシライシ沙トリさんなんかは、かなり彼と話していて、藤木直人をプロデュースするにあたって、これ直人の曲?っていうくらいのを書いてくれてるんだよね。もしくは、さすが沙トリさん、っていうものも。で、沙トリさんの曲が多いことや、特にこれだけツアーもやったあとの新譜が自分でなく沙トリさんのものだっていうことに、彼は全く抵抗を感じていなくて、今度のシングルは自分で、とかも気負ってなくて、それも役者もやってるからかもしれないと、もらったセリフを言うっていうこととかね、そういうこともやってるから抵抗がないのかもしれないけれど、自分が書いた歌ばかりを歌いたいと思っていないっていうことが、話に出てくるんだけど、本当にそう思っているんだなって思う。ずらずら書いたけど、藤木直人なりの世界っていうのを確立するのは、必要な事かもしれない、「これだ!」っていうもので、どちらかというとそれに狭くされちゃうものでなく、なんとなく、これって藤木直人だなぁみたいなくらいの範囲で・・・。でも、それは、彼が歌い演奏し、パフォーマンスするっていうことで表していけるものだから、本当に、アーティストと呼ばれている人たちみたいに、必ずしもアルバムのクレジットに自分の名前がいっぱいある、みたいでなくて、沙トリさんや以前の呼人さんと特定でもいいし、全くまた違う人、プロデューサーは沙トリさんのままでも、違う楽曲提供を受けてもいいんじゃないかな、そこから別の魅力も出るかもしれないし、って聞いてる側も思えるし、本人も思ってるし、まわりも「直人が書かなくちゃ」ってプレッシャーを与えてない感じがして、それはいい環境なんじゃないかな、とすごく思った。
すっごく簡単に言ってしまえば、オリジナルでなきゃ!っていう偏重から外れたところに居る人で居てほしいって言う感じかな?もちろん、最近はカバー流行で、カバーもまた、いい曲が蘇るっていうことにおいても(楽曲の力)その人の新しい魅力にもなっていいと思うけど、そういうんでなくて、新曲だけどオリジナルでない。といっても、歌い手として、その人のものにしちゃったら立派なオリジナルなんだと思うけど。(それからオリジナルも作れるっていう力はあったほうがいいから、それはそれでやめないで続ける、そこが偉いかなぁって思うし、やっていってほしいところ)
って、何、うだうだ言ってるんだか。
と、ここまではいい話。(と、いっても、インタビューには、ありがちに同じ話を聞かれていて、で、ブレない範囲で全く同じにならないように答えたりしているみたいに見受けられるんだけど、聞き手で、話が面白くなることも、そうでないこともあるし、雑誌だと、文章に起こすときにすごく印象が変わっちゃってるものや、書き手の思い入れが入りすぎちゃってる?ってものも色々ありますがね・・・)・・・・・って、私は、思い入れ入った読み手だけど、一読み手だからいいの、これもその立場で書いてるわけだから。
一番気になったのが「WO」のまとめの文ですね。実はインタビュー記事は、本当に他にないところまで話してくれてて、そういうところが上の私の思い入れのネタモトというか、私がこうかもな?って感じてたことをインタビューという、一応、彼自身が語ったこと、ということで裏付けられた気がしたのね。だから、「WO」は写真もよかったし、買い!なんだけど、褒められていい気分でばっかりはいられないぞ、というくらい、持ち上げてくれすぎている文章なので、ご本人はもちろん、そんなに天狗になったりしてないと思うし、なったら危険だって頭でわかってると思うけど、まわりや、ファンが「藤木直人はもうここまできている」みたいに得意になっちゃいけないな、と、こう褒めてくれているけれど、嘘じゃないだろうけど、他の人のインタビューに行ったら、同じく持ち上げるとこはかなり持ち上げるもんなんだし、もっとスゴイ人はいっぱいいるぞと、それもわかった上で、そこにはいっていける人なんじゃないか?と、思ったりしちゃいけないぞと、気持ちを引き締めなおしていかないと、これは、逆に危険な文章だなぁと、なんか確証はないんだけど、感覚的にすごい、ヤバイ、危険だ、って思った。もっとゆるいまとめでよかったんじゃん?て感じがしてならない。インタビューもゆるい中に、本音が聞けてるのかな?って気がしただけに。ほとんどがまだまだこれからって思ってるから大丈夫だと思うけど、盛り上がりすぎてるファンのヒートアップが怖いなぁって、何様に思ってしまったのでした。
何様といえば、「TOKYO STREAM」の中で同じことを思っている人がいた!!って思ったの。この頃、私自身、ドラマで同じ役者が組みすぎること、特にラブストーリーで、それはちょっと懸念の部類に入るのでは、というか新鮮さが減ると言う意味で、またか、って思いがあるわけです。超ラブ!じゃないと、また組んで!っていうのはあるんだけどね。でもね、ほんと制作発表の段階から藤木直人と仲間由紀恵の並んだ姿を見るとね、これはスゴイ素敵なんじゃないかと思って。両方が好きだしね。で、インタビューとか聞くと、空気感ていうのが、すごく似てるところと違うところがあって、そのバランスがすごくいい感じがするんだよね。で、昔は、男性と女性の俳優さんがコンビを組んで映画をとってたのが良かったりした時代があったのですよ。もしかしたら、一番新しいのは百恵ちゃんと三浦さんかもしれないけど、その昔もあったのですよ。それは、今は例えば歌舞伎の世界なんかで「ご両人!!」と声をかけたくなるのが、その役柄だけでなく、俳優さんの組み合わせがそうだからこその「ご両人!日本一ぃ!」なんて大向こうがかかったりして、それがすごく気持ちいいっていう組み合わせがあるのですね。そういう組み合わせに限ってまた「またかよ」とか飽きがなくて、どんどん深まったりする中で、二人のあった息で新鮮さも出してしまうっていう、すごいところがあるんですよ。そういう感じにね、ドラマ枠では無理かもしれないけど、映画の方が無理なのかなぁ、オリジナルビデオシリーズとかでいいから、やって欲しい。ドラマでもいいんだけどな。ぜんぜん違う役で、ってそう思ってたの。そしたら、平成の百恵ちゃんと三浦さんになってほしい、みたいなことを書いてあった。これは、やっぱりそう思うんだなぁって、実現したら面白いのに、ってすごく思った。
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