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2003年02月07日(金) 冷静とミーハーの間に

 『僕の生きる道』と『高校教師』は、余命幾ばくもないと宣告された、偶然2人とも教師だったということで、ついつい比べがちになってしまう。かくいう私もそうである。でも、多分、全然ベクトルが違うんだよね。『僕の生きる道』で描きたいと作り手が思ってるものと、『高校教師』が表現したいことっていうのは、違うんだよね。描きたい世界が違うような気がする。だけど、最終的にどんな結末が待っているのかはわからない、湖賀先生役の藤木直人は脚本家の野島伸司に「後半壊れてもらいます」って言われたらしいから、特にそっちはわからない。でも、違う世界、違う価値観、そんなものを表現しようとする中で、しかし、視聴者は「自分の命」について、考えざるをえなくなるだろう。そこにベクトルの違う物語があるということは、いいことかもしれない。
 

 例えば、周りの教師の設定、生徒たちの設定。まったく違う。そしてあくまでも主役は中村先生(草��君)である。「高校教師」はえ?誰?主役って成宮くん?京本さんとの対決だっけ?っていうくら、群像劇になっている。そしてもちろん、周りの教師、生徒の設定っていうのは全く違う。「僕の生きる道」の方が、あきらかに高校教師としての彼が重要で、彼が同僚の教師や理事長や、生徒たちとの関わりも、それが彼が高校教師であるからである。「高校教師」の湖賀は、物語の設定ありきで、その都合上、高校教師になったようなもので、今回特に高校教師だから、という足かせは今のところない。それは、高校教師として生をまっとうしたい中村先生と、湖賀と雛の立場を一番明らかに表現できる関係が高校教師と生徒だった。というのでは、違ってくると思う。もちろん、5話のように、教室のガラスを割り、そこで倒れているのだから、水泳部の3年女子が虚無的に生きているメンバーの1人であったのだから、そしてそのうち雛との関係もとりざたされるだろうから、無視できないことではあるけれど。

 だから、「僕の生きる道で」そんなに簡単に反省するなよ。とは思ったけれど、性善説みたいな感じで、中村先生が伝えたかった、医学をめざす少年が改心したり、歌手を目指す女子生徒の進学を薦めないで、夢を後悔しないことを薦められて、彼は、教師であることに生きがいややりがいを見出す。そして、死に向かっているとわかった時点から、彼には、片想いだったはずの、もう恋愛なんてすることもなく死んでいくのだと思っていた恋人のいなかった中村先生に味方、それも恋人として味方になってくれる(告白しても大丈夫かもしれない)みどり先生と出会えた。(ラストはポップでちょっとよかった。谷原章介が、反撃に出たりしたらやだなぁ、とか思いつつも、だんごに反応して、帰っていくトコとかポップだった。)ここでは関係無いけど、あの、森下愛子のやってる先生はなんで、「この薬。。。」ってわかったんだろう?もちろん、彼のその前の話に、最近のいつもの力説と違うことを感じていても、「もしかして?」って思うってことは・・・。それに彼女はいまだ独身ていう役だけれど、「星降る」と違って、ただもてないとか機会がないとかいう独身ではない気がする。とてもチャーミングだし(それは森下の力かもしれないが)恋愛にうといわけではなさそう。思いすぎかな?彼女は誰かを同じ様な病気で亡くしているんだろうか?そしてその人を思いつづけている。だから、みどり先生の味方になれる?あ、更に関係無いけど気になったのは、あの鳥羽くん、女子高生アイドルっていうか雑誌モデルに片想いしてるかつきあってる?

 あ、それまくり。前に話した、医者の問題は今回は割愛かな?小日向さんは似合ってます、とだけ・・・。

 で、問題の「高校教師」の方ですが・・・。過激にすればいいってもんじゃないんだけど・・・。だけど、そこかしこにあっていいこととは信じたくはないけれど、多分、増えてきているんだと思う。スパイがあのジョーズ女だったことは、想像できたこと。バイクで校門で待ち始めた悠次に一瞥してたから。あ、なんかあんなぁあって。彼女は対等な気持ちでいるようだけど、悠次はそうは思っていないだろうね。仲間と何かやろうっていう感覚より、仲間を使ってやろうっていう感覚だと思う。きっと彼は体制に反発し、当局(どこだ?)に反発し、社会を馬鹿にし、そして誰も信じない。利用するだけ。楽しむだけ。心の底からそれだけで楽しいのかわからなけれど、ゲームに勝つこと、それが彼の達成感?彼を変えられるのは、紅子ではなく、藤村先生かもしれない。その紅子のシーンは雑誌見たりして集中しないようにした。5話の紅子に何が起きるか、知っていたから。そうじゃないのに「大丈夫」っていうとこまで。正視できないよね。映像的にも、完成度は低い気がする。でも、倒された振りの悠次が、むくっと起き上がり、ゲームをはじめるとこは、信じられないけど、上手いと思う。

 肝心のタイトルであるが、湖賀がジョーズ女の目にとまる。雛がアイカギをこっそりつくった日に鍵をするっていうのは、いいような、悪いような。湖賀先生、一応気づくかと思った。気づかなかったね。ちょっと残念。そして、学校へ戻って、彼らの側を知る。その後の行動は、もっと理性的で、ある意味もっと悪賢く振る舞うかと思った。そしたら、案外普通で良かったような残念だったような。雛に対し、いつまでもつけるはずのないうそをつき、観察を続ける、その冷徹な目と裏腹に、やっぱり、死を宣告されるまではまっとうな好青年だったんだなぁと、思ってしまう。藤木直人としては、なかなかいい演技を、チェスのあたりからしていたのではないかと思います。悠次が今引き入れようとして、彼も相当明晰そうだが、負けそうなチェスで賭けるのは、彼が死に至る病と知ったから?何故?どうするつもりだろうこれから?知らないままだとして、どうして彼は湖賀を引き入れようと考えたか?もしくは、薬が切れた湖賀が、泡吹いて倒れたのに、今薬、しかも噛んだよ、薬には噛んでいい薬と、飲みこまなきゃいけないのとがあるんだよ、これどっち?そして即効性は?なんてことを考えながら。そう、あいつ、鍵束かえしたのかよ?とか、ね。朝まで倒れてるかな?とか・・・一見冷静そうにドラマを見つつ。フジッキー(とあえて書く)の「チェックメイト」の前のにやりという笑いにやったね(勝ったからじゃないよ、その表情ね)と思いつつ。できるだけ、感情移入をしないようにしていたのかもしれない。今週は。先週ラストのジェットコースターのレーン上で「僕がずっと見てる」の時のぐぐっときた感じや、「助けて」とか複視が出たときに「あぁっどうしよう」(どうしようもないけど)思った気持ちとは全然違うの。かっこい、色んなシーン。いい顔したな。とか、歩いてるただそれだけにしても、湖賀先生をやってるフジッキーだ!っていう思い、今までもあったけど、今回特にそっちに集中しました。でないと、あまりにも、いやだったから。っての、あるかもね。入り込みたい気持ちもあるんだけど、例えば「白い影」の直江先生なんて、入り込みまくったもん。なんでだろう・・・この、感じ。悠次、てめぇ、ナイフにせかよ!と腹立てて、対極するフジッキーはまるで鑑賞用なんだーとでも言い聞かせて。湖賀としてのドラマを見つつ、フジッキーは、やっぱかっこいいわ・・・と思いつつ。なんか、変に冷静を保とうとしちゃったな。来週からは、過激になっても、はいってこ!

 こないだの、「味方」っていう時にも書こうとして、引用までして、あれ、全然書ききれてないんだよね。・・・・今日も、本当に対比させたかったのは、そういうことじゃなくて・・・・・。なんだっけ?

 多分、一番は、前にも書いた、どうして彼女を振る必要があったのか?・・・・上述した通り、中村先生は彼女もない状態で一人で死んでいくんだなって、死を宣告された。初回で、「もう恋はできません。残していくだけなんてかわいそうですから」そういっていたけれど、恋は続いたし、そして変化した中村先生にみどり先生も恋をしはじめた。反対に、結婚まで決めた愛する人、愛し合っている人がいるにもかかわらず、死を宣告された湖賀は、その愛を捨て、自ら孤独の中に入り込んだ。人生、これだけの間にも、先がどうなるかなんてわからない。

 共通することは、2人とも、自殺を試み、運良く失敗したこと。そして、もう二度と、自分から死に向かっていってはいけないと、わかったこと。

 ヒントなのかな?湖賀は相当ナルシストらしい。鏡に向かって自分を慰めるのは、ある意味効果があるのかもしれないが、ちょっとナルシー入ってる?って思ってたけど、雑誌のインタビューで、藤木自身、湖賀が数学に没頭するのは、死から逃れる、没頭することで忘れるということだと思っていたらしいが、野島は、湖賀が、部屋でも数学を解きつづけるのは一種のナルシズムらしい。鍵があるかも。

 と、ここでふつうーにミーハーなフジッキー話に戻るけれど、理系の彼、だからこの役がきたのかな?って思う程、彼自身も自分が理系なことは一つの武器?でも、ほんとに、教授がついて、ドラマに出てくる数式や、数学者の話などを話したり、その解析のために藤木に教えているらしいけれど、フジッキーって、待ち時間とかに、その数式、まじで解いてるらしい。それは役作りで、こなれるように、っていう意味異常に、数式を解くことに、快感を感じているらしい。すごい!!・・・何度もいうが、私は記憶力があったり、語学ができたり、数学ができたり、それだけでノックアウトなのである。・・・・なんてことを考えながら、次週、クローゼットに隠れた雛ちゃんの運命やいかに!!

 すごいとりとめないね。いつにもまして・・・。ポイントは死までの時間がどれだけであろうと、愛や信頼できる味方をみつけることはできるし、だからこそってこともあるけど。にもかかわらず、もう、もっている(と思っている)のに相手ではなく自分から手放す、手放さざるを得ないのか、それとも。だがしかし、彼もまた希望を手に入れる。人間は逆境にあっても、心から求めれば、それを叶えられるチャンスはもっているっていうことか。


もっちゃん |M@IL |( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場 |( ^-^)_旦""

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