speak like a...child

 

 

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我在故我思 - 2002年10月01日(火)

ひどい雨だったので原チャで学校に行くのがとても億劫だったが
後回しにして何らかのアクシデントに見舞われたらたまったもんじゃないので
渋々ペコを着て山へ向かう。(ペコ・・・雨具代わりの黒いヤツ。背中にpeko。)

扇坂を過ぎたあたりでトキに会う。
一年以上会ってなかったんじゃないだろうか。
夏の同期会にも来なかったし。相変わらず素っ気ない。
でも連絡を取りたかったので頑張って出てきて良かった。

エイジさんは指導教官の所見を快く書いてくれた。
こんな学生だったら良かったんだろうね。
ゴメンよ、エイジ。

迂闊にも自宅から成績証明書を持ってくるのを忘れたが、
学部に依頼してた分が2通あったことに気付き、取りに戻らなくて済んだ。
(fetchっていう単語をド忘れして調べること約3分。)

これで面倒な書類の手続きは全て終了。
明日からは実習の準備でもしよう。


うちの学校の施設にNICHeっていうのがある。
来年度の進学先と少し関わりがあるところなんだけど、
なんで無理矢理最後に“e”を付けたのか分からん。
頭文字だけならNICHでいいやんってジュンに言ったら
「ニッチやニッハじゃ格好悪いじゃん。」ってさ。確かに。

eを付加したNICHeは“ニッチェ”と読む。
人によっては“ニーチェ”が通称になってることもある。

「ニヒリズムだよね?」
「そそ。“神は死んだ”とかね。」

高校時代は倫理の授業が好きだった。
クラスの大半は寝てばっかりだったが、
オレは駄洒落のきつい先生の話に耳を傾け、
その傍らで教科書と資料集を読み通した。

大学進学にあたって何故数学科を選んだかというと、
純粋数学を学ぶ、数学教師になるという目標の他に“哲学”という動機があった。
哲学をどうしたかったのかは分からない。
学びたかったのか触れたかったのか近づきたかったのか。
研究したかったのなら文学部に行くべきだったろう。
しかし自分にはただ漠然と“哲学”というキーワードがそこにあっただけだった。

“cogito ergo sum” − Descartes

英訳すると“I think therefore I am”だと中学のころ教わった。
しばらくの間は好きな言葉と言えばこれだった。

西洋では数学者と哲学者の境界線は限りなく曖昧である。
ピタゴラス、デカルト、ガリレオのように数学や物理学、天文学などの
自然科学において業績を残した学者は哲学者としての側面を持っている。
当時は宗教活動と学問に密接な関係があったからかもしれないが
そんな学者に単純に憧れた。

自分も数学を学べば哲学者になれるかもしれない、淡い期待を抱いていた。
それなのに在学中は何もしなかった。
哲学書を読むわけでもないし、数学の勉強を進めるわけでもなかった。
性は怠惰。罪深いほどに。

還らない時間は仕方ない。
これからどうするかだな。
引き続き拙い精神論やパラドクスでも綴ろうか。
すっかり日焼けしたキルケゴールでも読もうか。





ついでだから東洋思想にも少しだけ触れておく。
自然科学から派生する西洋思想に比べて、
徳や仁を重く説く東洋思想は人文科学的かつ政治的要素が強い気がする。
孔子の言うことはいちいち夢見がちな気がして、
世間から隠れ住んだ老荘思想の方が性に合ってるんだけど、
孔子の克己復禮は確かに理想だと思うし、
老子の言う小国寡民はオレの造りたいものの基幹である。
あと、孔子の衛霊公15-7には勝手に宿縁を感じる。



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