speak like a...child

 

 

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Die of Cancer - 2002年06月28日(金)

あれは高校1年のときの英語の授業だったと思う。

「癌って英訳すると何だか分かるヤツいるか?」

「cancer。」

「おお、よく知ってるな。」

「だって、アタシ蟹座だもん。」

一見、脈絡のない発言に教室は唖然としたが、
要するに蟹座と癌は同じ訳語を持つのだ。
なぜかは分からないが。

もし、この一連の会話がもし単語が入れ替わっていたら?

「蟹座って英訳すると何だか分かるヤツいるか?」

「cancer。」

「おお、よく知ってるな。」

「だって、アタシ癌だもん。」

笑えない。
重すぎる。
それこそ唖然とするだろう。
教室で癌宣言などするものではない。

さて、そろそろ自分の死期が近いのではないかと思ってしまう今日この頃である。
明らかにここ数年のオレの体はおかしい。
一時期、まったく風邪をひかなくなったと思えば胃潰瘍だし、
やっと痛みがなくなったかと思えば、久しぶりの風邪は1週間以上も治らない。
相変わらず原因不明の心疾患は月経よりも頻繁にやってくるし、
その度に「生理なの」と宣うのにもいささか飽きた。
静止するパントマイムにはもはや虚しさしか感じられない。

キルケゴールの言う「死に至らしめる絶望」に遭遇する前に
ボクは朽ち果てるのかもしれない。それが少し口惜しい。

現在、東京の中野区に10年来の友人がいる。
死んだらあとのことはよろしくと言っておいたので、
うまくやってくれることだろう。
山のようなCDや貴重な楽器・音響機器の類は適当に分配してくれると嬉しい。


死というものは常に生の傍らにあり、対極にあり、
生を価値付ける唯一の存在が死であるという。
それは本当か分からない。
僕は死後を知らないので相対的な評価しか下せないから、
価値判断としては不十分に感じるが、
とりあえずはそう信じるしかないのだろう。

『老衰』という単語を覚えたのは幼稚園のころだった。
7歳にはなっていなかったのでそれは確かだ。
その理由は明日にでも書くとする。

幼心に死ぬということに畏怖を覚え、死ぬなら老衰がいいと思ってた。
寿命を全うしてるわけだし、何より痛くないならそれがいいと思ってた。

思春期の、ペシミズム全盛のころは、どこかでE・ガロワの話を聞いたのか、
華々しい業績を残して、20歳くらいで死ねればいいと思ってたし、
数学を志したときは人生40歳までという制限を意識したこともあった。

最近は少し違う。
ボクは癌で死にたいと思う。

それは、
祖父と同じで、
祖母と同じで、
弟と同じで。

癌に遺伝性はないと言うが、とにかくうちの家系にはついてまわるのだろう。
近年、癌は不治の病ではなくなったらしいが、全体的な死因の中では上位だし、
我が家に限って言えば、入院したころにはまったく為す術がなかった。

祖母の入院のとき、親父たちは癌を告知しなかった。
苦渋の判断だったことは重々承知しているし、
それが正しかったかなんてのは他人にとやかく言われる筋合いはない。
その歴史しか残っていない以上、それが唯一の選択だったのだ。

その後で親父は自分がもしも癌になったら告知するようにと言っていた。
複雑な気分だった。
僕は言うだろうか。
いかにそれが望みだとしても言えるだろうか。
実際にそのときになってみないと分からない。

僕が癌になったとき、誰が僕に告知してくれるだろう?
ありがたいことに友人や先輩の中には医者の卵が何人かいるので、
奥の手として使えないこともないが、
先日、入院している友人の容態を暗に調べてもらったときは
あまり気持ちのいいものではなかった。
おそらく彼にもそれに近いものを背負わせてしまったのだろう。
とうわけで、奥の手は封印する。


なんか暗い話で長くなってしまったが、
書きながら逸見政孝さんの癌宣言の会見を思い出してしまった。


僕はまだ社会に誇れる業績を残していないのでもう少し生きる。
とりあえずはこの風邪を早く治すとする。
明日は飲み会だ。(ォィ)



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