ひみつ日記
脳内漂流日誌もっと前もっと後


2018年12月08日(土) 盤上で愛を語れ

と、いうのが15年と少し前、ヒカルの碁およびヒカル佐為を描くうえで、いつもわたしの頭のなかにあった定型文でした。
あのふたりのあいだで碁を打つという行為は無意識にせよいつだってセックスの代替行為だったと思ってるし、佐為ちゃんが消えてからのちにあの男が打った棋譜はすべて、綺麗な言い方するなら今は亡き美霊に捧げるラブレターだし、見も蓋もない言い方していいならひたすら美霊を思っての自慰行為だと思ってます…。
わたしは進藤ヒカルという男を愛してますが、その愛はどう見てもいささか歪んでいる事実を否定できませんし、またヒカル佐為を信奉しているものの、このカプの真価は後半の佐為ちゃんの消失にヒカルさんが半狂乱になって東奔西走するところからと信じている類の人種なので、おそらく語っても共感を得られるところはごく少ないのではないかと思いますが、せっかく機会をいただいたので少し思い出話でもしてみます…。

わたしが思うところのヒカル佐為真骨頂の後半部、佐為ちゃんが消えてしまってヒカルさんが罪悪感と絶望に苛まれてゆく様をリアルタイムで見守っておりました際、ヒカル佐為を支持する身としてはなんとか佐為ちゃんに(この駄目亭主のもとへ)戻ってきてもらいたいと思う一方で、けれどそれは決してありえないと心のどこかで確信していたように思います。あの物語は囲碁の幽霊が登場するというファンタジー要素を持ちながら、それ以外は冷徹なまでのリアリティをもって描かれていたので、そんなおとぎ話のような素敵な展開はこの作品のすべてを台無しにするものだと理屈でなく感じたのは、わたしもまた拙くも物語を作ることに腐心する人間であったためかもしれません…ただそれだけに読者視点と物描き視点のはざまで悶々とすることになってしまい、精神的にはよけいにキツかったです…。
しかし佐為ちゃんの復活こそなかったものの、最後の最後、ヒカルさんに対する救いはしっかりとあって本当によかったと思います…。あれが例えヒカルさんの願望の見せたただの夢にしかすぎなかったとしても、ヒカルさんがあれを信じて救われたのであればもう小難しい理屈解釈などおととい来たらよろしいのです…。
そんな風に少し切ない余韻を残しつつ見事に幕を下ろしたヒカルの碁ですが、本編終了からさして間をおかず(多分に大人の都合で)番外編の連載が告知された際には目を疑いました。あれだけ緻密に組まれた物語にあとから何かを付け加えることはほとんど不可能に思えたからです。けれど高確率で蛇足になりかねないそれを、ほったせんせいは見事にさばいてみせてくださいました。あの時の感動は今でも鮮やかに思い出せます。余分なものはなにもなく、足りないものもなにもない、必要充分のまさに完璧な物語でした。

あれからずいぶん月日が流れましたが、十年たっても二十年たってもあの男が相変わらず碁盤を前に「佐為…」とか狂気じみて愛を貫いていると思うとそれだけで萌えという名の戦慄が背中を走ります。
進藤ヒカルという男とその愛を思うとき、なんだかいつでもお通夜気分になるのも相変わらずのようです…。


以上、魂の協力者さまへお返事とお礼をかねまして。いつもありがとうございますだいすきです(どさくさに告白もぶっこんでいくスタイル)

ホイミ送ってくださいますかたがたもどうもありがとうございます…!
少しでも気に入っていただけるような何かがあったならなによりです!


津島 |MAIL