ひみつ日記
脳内漂流日誌|もっと前|もっと後
素敵なお手紙をありがとうございました。 いただいた綺羅星のようなお言葉にお応えするために、しばらく言葉探しの旅に出ていたのですが、言葉を連ねれば連ねるほどに真実お伝えしたい気持ちの真ん中から離れていってしまう気がして、結局いつも通りとりとめなく思い付くまま筆を走らせることにいたしました。言葉とは難しいものですね。言葉ではどうしてもとりこぼしてしまうなにかをすくいあげるために、漫画という表現形態があるのかもしれません。絵を描くのは苦手だけれど、漫画というものがこの世にあってよかったと、そう思います。
思えば、降谷零というひとは不思議なキャラクターで、原作、アニメ、映画、そのほかグッズや雑誌、あらゆるメディアがよってたかって彼という人物像を勝手につくりあげたようなところがあるような気がします。もちろん青山先生の許可は最終的にいただいているんでしょうが、なにしろ寛容なことで有名なかたなので、もはやどこからどこまでが公式なのか、そもそも原型はどのようだったのか、今となっては真実は闇のなかという印象です。わたしが初めて降谷さんを知ったのは純黒でしたが、後から原作を読んでも「明確な降谷さん像」がなく(唯一緋色で「俺」と発言していたあたりが最も大きく降谷さんのキャラ形成に影響している部分でしょうか)、むしろアニメや映画と原作とで「安室透」としてすら微妙にキャラクターにブレがあるのに戸惑ったことを覚えています。 ただ、そのブレは好意的に見れば、キャラクターに幅があるということになるので、二次創作においては好きなように好きな部分を膨らませてそれぞれの降谷零を生み出していける、そういう一種の扱いやすさが今の彼の人気の理由なのかなと思ったりもします。
そんなわけで、わたしもわたしなりに降谷零という人物を自分のなかで形成した次第ですが、2年という時間の流れのなかでその考察とこだわりが深くなればなるほどに、原作やいわゆる周辺の降谷零像と解離していくことに迷いやジレンマを感じることが多くなってきたそんな時、やはりいただいた「津島の描く降谷零」が一番好きだというお言葉が、いつも踏み切る勇気をわたしに与え続けてくれました。 いままでも、わりと少数派とされる立ち位置をとることが多い人生だったので、結果的にひとのいない方へ行くことになってもしかたない、理屈にあっていなくてもそれでも惹かれるならば飲み込んで進むしかない、と、わかっていたつもりではあったのですが、それでも知らず知らず人は足をすくませてしまうことがあるものですね。それでいい、認める、と言ってくださるそのお気持ちにどれだけ救われたかわかりません。 進む道の先に光はないけれど、いただくお言葉はいつも道行く足元を照らす光でした。
こう書くと、なんだか感謝の気持ちをお伝えするよりお別れの挨拶みたいになってしまって嫌ですね。本当に言葉は難しい。安コが一段落したのでつい過剰に感慨深くなってしまっているようです。 安コに限らず、ひとつのものを徹底して突き詰めて描こうとすると、どうしても他のかたの世界観を受け入れる間口が狭くなってしまい、単純に安コが好きとか楽しいとかそういう風でもいられない業なのですが、これからはもっと気楽に、もっと内々で楽しむだけのものをマイペースに描いていけたらと思っています。
そういう意味では、赤灰に関しては興味を持った早々に素晴らしい世界観を持つ作品に出会えたことは、本当に僥幸であったと思います。 長く同人をやってきて、こちらの背筋が思わずすっと伸びるような先達とその作品の存在ほど心強いものはないですし、またそういう方がいてくださればこそ、わたしも自らの業を離れて素直な気持ちで作品を読ませていただいたり、時々は自分でも描いてみたりと、赤灰の世界を余裕をもって楽しむことができました。 ほんとうに、こんなにすごい赤灰の世界を言葉でもって生み出せるかたが、どうしてわたしの赤灰、そのうえ安コにまで興味をもってくださったのか、正直いまでもさっぱりわからないのですが、もうそのへんは、理由がわからなくて不安…という乙女思考でなく、とりあえず、やったラッキーと考える中高生男子のポジティブ思考でいこうと思います。まじラッキー。
綺羅星の言葉で綴られる世界には遠く及ばないにせよ、これまでも、これからも、わたしの描く赤灰とその幸せの日々はすべてまるごとお手元へ捧げさせていただきたく存じます。ひとまず安コにかかりっきりで手をつけられなかった恋愛ポンコツな赤井さんの話をそろそろなんとかしていきたいです…。 愛のなんたるかを学び、あるいは悟っていく赤井さん、わたしもたいへんに大好物であります。戦うことに特化した結果、凡百が当然にしてるようなささやかなことがよちよち仕様な赤井さんに、降谷さんが投げかける(予定)の罵倒文句がすでに幾通りも順番待ちで待機中です。
長くなりましたが、最後にあらためて感謝とお礼を。 ほんとうに、わたしの描く降谷零と、安コ。赤灰。それをとりまく世界のすべてを愛してくださってありがとうございます。 自分の生み出した世界について、わたしに勇気と自信と誇りを持たせてくださったのは、赤灰に対する深い愛情と確固とした世界観を持ち、物語を綴るかたの言葉があったからであり、その愛情と世界観をわたしもまた愛しているためであると思っております。 manonさんの愛情、世界観、作品、言葉のすべて、わたしも心から大好きです。
魂の協力者さまへ、愛を込めて。
追伸 · どうにも不条理な壁にぶちあたったときは、「それがどうした」「知ったことか」なども自らを鼓舞するパワーワードとして有効です。周辺に人がいないところを見計らってひっそりとお試しください。
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