ひみつ日記
脳内漂流日誌|もっと前|もっと後
| 2018年09月02日(日) |
安コ過激派の基本スタンス |
※本日の日記は降新がお好きなかたには地雷でしかないのでくれぐれもご注意ください
ブラッドベリの短編に「趣味の問題」っていう作品があるんです。 主人公はいわゆる宇宙人で、ある日その宇宙人の暮らす星に人間がやってくるんです。主人公の宇宙人たちは穏やかで知能も高くてちょう平和的な種族なんです。突然やって来た人間も快く受け入れて友好的に接してくれるんです。 でも見た目が蜘蛛なの。しかもすごいでかい蜘蛛なの。 人間も争いたいわけじゃないからなんとか友好的な関係をと努力するんです。でも、蜘蛛。生理的にもう無理!すごいいいやつなのわかってるんだけど無理!無理なもんは無理!っていう話なんですけど、本能が理屈をこえるっていうのがすごい説得力だなって印象に残った一編です。
と、いうのがなんか安コからの降新という事象を思うたび頭に思い浮かぶんですよね…無理なもんは無理。
べつに工藤新一はみため蜘蛛でも鑑賞に耐えがたいほどぶっさいくっていうわけでもない(むしろイケメン枠)ですけど、ただそれはあくまで周囲の意見であって、降谷さんの主観でもってみてアウトであればそれはそれでもう仕方ない気がします…。 よく人間中身が大事とか姿が変わっても君が君ならとかいいますけど、もちろんそれがそうならすごく素敵なことだし、またひとつの真理なんだろうとは思うんですが、あまりにその考え方が当然のものとして氾濫してるような気がして、むしろそうでなければ愛じゃないということになってしまうなら、愛ってなんて息苦しいのかと思います…。
わたしはだから降谷さんが「いや無理…」って言っちゃっていいと思うんですよね…無理…なんかでっかいし…って。いいと思う。当然だと思う。だって昨日まで腰までもないちっちゃな愛らしい子供(cv高山みなみ)だったのが、今日になったらそこそこ上背のあるイケメン男子高校生(cv山口勝平)になってるんだぜ…そんなのまったく同じように接しろっていうほうが無理だろ…どうすんの…「やあコナンくん!いや新一くんかな?大きくなったね!」ってか…?無理があるだろ…。 フィジカルな部分がメンタルに及ぼす作用っていうのは明確にあって、油断のできない恐ろしい子供でも、見た目が子供であることでどこかで降谷さんの警戒をやわらげてるというか、無意識に「保護すべきもの」としてひとつ壁の内側に自然に入ってるというか、とにかくそういうことはあると思うんです…でも17歳は未成年とはいえもう見た目立派なヤローですからね…抱っこして守るとかもうそういう対象じゃないですからね…でも降谷さんは抱っこして守ったりしたいの。あのひと守りたがりだから(と、勝手に思っている) これね、コナンくんがコナンくんのまま10年かけて成長した状態であれば(そしてその過程において降谷さんがそばで一緒にすごしていれば)またぜんぜん違うと思うんですよ…元来警戒心の強い降谷さんが誰かと深い心の繋がりを築くにはやはりなんでもない日常を共有する長い時間が必要で、いきなりそれすっとばして17歳になったところで、いくら中身がコナンくんでもいや無理…ってなるんじゃないのって…。だから単純に17歳だから無理っていうわけでもないんですよね…重ねる時間の問題なだけで…ただ安コには原作の流れ的にその重ねる時間の余裕がまったくない現状…。 まあそうゆうわけだから別に降谷さんがペドっていうわけでもないんです…いやべつにショタコン確定でもぜんぜんわたしは構いませんけど…なんなら、いやほかの子には興味なくて僕が好きになったのはコナンくんだけでコナンくんがコナンくんだから云々ってそれっぽいこと言っておいたらいいんじゃないかな!
なので、わたしは逆にすごく見たいですよ…愛がすべて、愛があれば見た目なんての息苦しい世界で「いや、無理」って言い切る降谷さんを…。 そんで、周囲から信じられない!このショタコン!ひとでなし!って罵倒される降谷さんという構図を見てみたい。これ重要なのは周囲がどう罵ろうが最後まで無理なもんは無理であるというところです。ほだされて妥協とか妙な努力とか半端な歩みよりとかしてはいけない。してもいいけど結局無理でなければならない。暴力的な愛の理論に巻き込まれてはならない。真実はひとつじゃない。
寝不足の謎テンションで書いたらとんでもない長さになってしまった…。 回復呪文からのメッセージにはまた日をあらためてお返事させていただきます!ありがとうございます…!
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