ひみつ日記
脳内漂流日誌|もっと前|もっと後
| 2011年06月08日(水) |
度を越した人間とは最後は肉弾戦だ |
澄野さんの過去とかそういうのは本編で一切明かされてないんですが、 「こんな俺でも親が産み、ガキの頃があり、この図体になるまで生きてきた」 っていう台詞から察するに、まああんまり褒められるような人生送ってきたわけではないのだろうな…と思うわけです。 だからこそキリノの存在は澄野さんのなかで不思議なものに属していたのではないか…。 初対面のときからあきらかに澄野さんはキリノに見つめられると調子崩れている。キリノにとって澄野さんはヒーローであり、憧れであり、たぶん恋愛対象であったわけですが、澄野さんのほうはそういうふうに「善いもの」として見られることにまるで慣れていなかったのではないか。怖がられたり敵視されたりは日常茶飯でもあんなふうに純粋に憧れの視線を送られるようなことははじめての経験だったのではないか。 そうしてそれは、なんだかくすぐったいような居心地の悪さもありながらも、けっして嫌な感じがするものではなかったのではあるまいか。 いっしょにいるとなんだか自分が少しマシなものに思えてきたりする。 澄野さんにとってキリノはそういう存在だったのではなかろうか。
澄野さんの生存についてはわたしまったく期待していません。あれは死んだ。 少年ジャンプならともかくヤングジャンプで人は生き返らない。と思う。 生き返ってくれ戻ってきてくれとぐるぐるするのは、さんざ囲碁まんがのときにやったから、もうそれはよいのです。 でももしかなうなら、澄野さんの過去編とか番外編とかなんかやってくれんだろうか。もっと澄野さんを見ていたいよう。 主役をはれるだけのキャラだと思うので、どう考えてもこれっきりはもったいない。 まあザンガード(キリノ主役の番外編)がありますけど。愛に満ちた2年間の歴史。そんなザンガードは6/17発売です。 成田で購入してそのままイギリスに携えていく予定です。
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