会社の方からACIDMANのCDをどかっと借りまして、今現在、アルバムの『equal』を聞いております。 何かこう、まるい雰囲気の曲風だなと思います。 でも歌詞は、まるくないんですね。 とんがってもないけど…柔らかく抉る感じですか。 不思議な言葉の選び方・連ね方をしてるなぁと思います。 歌詞の持つ奔放さって、音に感情のイントネーションを預け共有できるからこそ解放される、自由な言葉の選択の結果なのかなと思います。 歌詞だけ読んでも意味不明…ってこと、結構あるじゃないですか。 でも、音とあわせて「歌」になると、途端に成熟したりする。(崩壊しっぱなしってのもあるにはあるんでしょうけど。) あれは、歌ってものが持つ独特の性質なのだろうと思います。 言葉だけで無く、音だけで無い。 音と言葉を「声」の中で融合させて、始めて「在る」何かが、歌の属してる世界には宿ってるんでしょう。 私は、歌詞だけ見た時にその構成がしっちゃかめっちゃかでも、音と融合した時に綺麗に響くなら、それで良いと思うタイプの人間です。 「この音と、この言葉の、合わさった瞬間を歌うのが好き」っていうのがあればオールオッケー。 それだけで、それは私の好きな歌です。 もちろん、しっかりとした構成の元に出来上がっていて、そういう意味で好きな歌もあります。 明確な意思の元、明確な言葉で、示したい何かを明確に歌いあげようとするその真っ直ぐさに、引き込まれる歌もあります。 が、そうじゃない歌に惹かれることも多いです。 隙だらけの言葉を音が埋めて、「歌」が「為る」。 そんな側面に、ひどく心を揺さぶられたりするからです。
……何てことをふと思わせるACIDMANの歌。 好きな風合いの歌です。
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