回 がらくた日記 回

2005年06月06日(月) 言埋める音。

会社の方からACIDMANのCDをどかっと借りまして、今現在、アルバムの『equal』を聞いております。
何かこう、まるい雰囲気の曲風だなと思います。
でも歌詞は、まるくないんですね。
とんがってもないけど…柔らかく抉る感じですか。
不思議な言葉の選び方・連ね方をしてるなぁと思います。
歌詞の持つ奔放さって、音に感情のイントネーションを預け共有できるからこそ解放される、自由な言葉の選択の結果なのかなと思います。
歌詞だけ読んでも意味不明…ってこと、結構あるじゃないですか。
でも、音とあわせて「歌」になると、途端に成熟したりする。(崩壊しっぱなしってのもあるにはあるんでしょうけど。)
あれは、歌ってものが持つ独特の性質なのだろうと思います。
言葉だけで無く、音だけで無い。
音と言葉を「声」の中で融合させて、始めて「在る」何かが、歌の属してる世界には宿ってるんでしょう。
私は、歌詞だけ見た時にその構成がしっちゃかめっちゃかでも、音と融合した時に綺麗に響くなら、それで良いと思うタイプの人間です。
「この音と、この言葉の、合わさった瞬間を歌うのが好き」っていうのがあればオールオッケー。
それだけで、それは私の好きな歌です。
もちろん、しっかりとした構成の元に出来上がっていて、そういう意味で好きな歌もあります。
明確な意思の元、明確な言葉で、示したい何かを明確に歌いあげようとするその真っ直ぐさに、引き込まれる歌もあります。
が、そうじゃない歌に惹かれることも多いです。
隙だらけの言葉を音が埋めて、「歌」が「為る」。
そんな側面に、ひどく心を揺さぶられたりするからです。


……何てことをふと思わせるACIDMANの歌。
好きな風合いの歌です。


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高時あいか
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