ちょうど今、小林泰三の『玩具修理者』を読み終わりました。 ……物凄い非現実感をモロに味あわせられました。 正確に言うと、『玩具修理者』の中の「酔歩する男」に、です。 自分がここにいる“現実”と“意識”が遠のきます。 自身の存在が、いきなり薄くなったような気持ちになります。 記憶の連続が疑わしくなってきますよ。 本当に。 あ、以下ネタバレになりますので。 『玩具修理者』って、一時期とても流行った本ですね。 第2回ホラー小説大賞短編賞作品です。 その時には読まなかったんですが、なんとなくあらすじだけは知っていて、面白そうだったので機会があったら読んでみようと思っており、今回、古本で安く見つけたので買ったのです。 「玩具修理者」は、クトゥルー神話の邪神の名が散りばめられ、個人的には「ああ、この人ラヴクラフト好きなんだ」と、ちょっと嬉しく思いながらも普通に読んでいました。 多少、臓器だの脳漿だのと言ったエグい描写はありましたが、「奇妙な空間のちょっと怖い話」程度で読み終わりました。(私は。ダメは人はダメでしょうが。) まあ、こういう話もあるわな……くらいで同時収録されていた「酔歩する男」を読み始めました。 小長編だったのですが……読んでいくうちに気持ち悪くなってきましたよ。 気分じゃなくて、感覚が。 この話には、即物的な恐怖はありません、全く。 ただ、感覚がとにかく狂うんですよ、読んでいると。 この物語の要を説明する簡単な言葉があります。 【シュレディンガーの猫】ってやつです。 私もよくは知らなかったんですが、何でも量子力学の逆説のことなのだそうです。 ……まあ、量子力学なんていわれても、どんなモンだかさっぱり知らないんですけどね。 で、【シュレディンガーの猫】。 かいつまんで説明しますとね。 箱の中に猫を入れ、その猫が1時間後に生存している確立が50%、死んでいる確立が50%になる装置を作ります。 1時間後に箱の蓋を開けるまで、猫の生死が全く解らない装置を作るわけです。 生存確率も死亡確率も、50%。 半々です。 1時間後、蓋を開けると、猫の生死が解りますね。 普通だと、箱を開ける前にすでに箱の中には、生きている猫か死んでいる猫のどちらかがいることになります。 が、【シュレディンガーの猫】の考え方だと違います。 蓋をあけるその瞬間まで、非実在の生きている猫と非実在の死んでいる猫が、箱の中にいるのです。 そして、箱を開けた瞬間にどちらか一方が実在化し、もう一方は消えてしまう。 つまり、閉じた箱の中の猫は、生きているのでも死んでるのでもないのです。 それはまだ決定していないのですから。 誰かが猫を意識した瞬間、それは決定される。 これが【シュレディンガーの猫】です。 「酔歩する男」ってのは、その“決定されていない”非実在の間を飛び続けるタイトラベラの男の、永久の彷徨いの物語です。 1つの未来へ飛ばされそれを現実として体験しても、その次に過去へ飛べばその瞬間、未来は“まだ決定していない”非実在に戻ってしまいます。 彼が体験した1つの“ありうる未来”は、それより過去へ戻った瞬間に消えてしまうので、その過去の自分自身の行動いかんによってあっさり姿を変えます。 何度も何度も、自身の人生の時間の中を行ったり来たりし続けます。 ジャンプする自分の意識は“連続”していても、飛んだ先の自身とは連続していなので、その場その場で行き当たりばったり生きるしかありません。 良き未来のためにその時努力しても、時間を逆行してしまえばその努力は“非実在”に戻ってしまうので意味がありません。 努力の浪費、と彼は言うのですが……空しい言葉です。 自殺してもダメです。 意識を失った瞬間、死によって消滅した未来へ進めず、過去へ飛んでしまい、その瞬間に彼の死は未来となり、非実在化します。 よって永久に死ぬこともできません。 結果、彼は主観的には何万年も生き続けることになります。 意識だけが、彼の人生の中で、何万年も生きるのです。 ………自分で書いててなんですが、解り辛いですな。 でも、とにかく物凄い話だったんです。 しばらくはこの不安感から、逃れられそうもありません。
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