回 がらくた日記 回

2002年12月07日(土) 非実在の箱の中

ちょうど今、小林泰三の『玩具修理者』を読み終わりました。
……物凄い非現実感をモロに味あわせられました。
正確に言うと、『玩具修理者』の中の「酔歩する男」に、です。
自分がここにいる“現実”と“意識”が遠のきます。
自身の存在が、いきなり薄くなったような気持ちになります。
記憶の連続が疑わしくなってきますよ。
本当に。
あ、以下ネタバレになりますので。
『玩具修理者』って、一時期とても流行った本ですね。
第2回ホラー小説大賞短編賞作品です。
その時には読まなかったんですが、なんとなくあらすじだけは知っていて、面白そうだったので機会があったら読んでみようと思っており、今回、古本で安く見つけたので買ったのです。
「玩具修理者」は、クトゥルー神話の邪神の名が散りばめられ、個人的には「ああ、この人ラヴクラフト好きなんだ」と、ちょっと嬉しく思いながらも普通に読んでいました。
多少、臓器だの脳漿だのと言ったエグい描写はありましたが、「奇妙な空間のちょっと怖い話」程度で読み終わりました。(私は。ダメは人はダメでしょうが。)
まあ、こういう話もあるわな……くらいで同時収録されていた「酔歩する男」を読み始めました。
小長編だったのですが……読んでいくうちに気持ち悪くなってきましたよ。
気分じゃなくて、感覚が。
この話には、即物的な恐怖はありません、全く。
ただ、感覚がとにかく狂うんですよ、読んでいると。
この物語の要を説明する簡単な言葉があります。
【シュレディンガーの猫】ってやつです。
私もよくは知らなかったんですが、何でも量子力学の逆説のことなのだそうです。
……まあ、量子力学なんていわれても、どんなモンだかさっぱり知らないんですけどね。
で、【シュレディンガーの猫】。
かいつまんで説明しますとね。
箱の中に猫を入れ、その猫が1時間後に生存している確立が50%、死んでいる確立が50%になる装置を作ります。
1時間後に箱の蓋を開けるまで、猫の生死が全く解らない装置を作るわけです。
生存確率も死亡確率も、50%。
半々です。
1時間後、蓋を開けると、猫の生死が解りますね。
普通だと、箱を開ける前にすでに箱の中には、生きている猫か死んでいる猫のどちらかがいることになります。
が、【シュレディンガーの猫】の考え方だと違います。
蓋をあけるその瞬間まで、非実在の生きている猫と非実在の死んでいる猫が、箱の中にいるのです。
そして、箱を開けた瞬間にどちらか一方が実在化し、もう一方は消えてしまう。
つまり、閉じた箱の中の猫は、生きているのでも死んでるのでもないのです。
それはまだ決定していないのですから。
誰かが猫を意識した瞬間、それは決定される。
これが【シュレディンガーの猫】です。
「酔歩する男」ってのは、その“決定されていない”非実在の間を飛び続けるタイトラベラの男の、永久の彷徨いの物語です。
1つの未来へ飛ばされそれを現実として体験しても、その次に過去へ飛べばその瞬間、未来は“まだ決定していない”非実在に戻ってしまいます。
彼が体験した1つの“ありうる未来”は、それより過去へ戻った瞬間に消えてしまうので、その過去の自分自身の行動いかんによってあっさり姿を変えます。
何度も何度も、自身の人生の時間の中を行ったり来たりし続けます。
ジャンプする自分の意識は“連続”していても、飛んだ先の自身とは連続していなので、その場その場で行き当たりばったり生きるしかありません。
良き未来のためにその時努力しても、時間を逆行してしまえばその努力は“非実在”に戻ってしまうので意味がありません。
努力の浪費、と彼は言うのですが……空しい言葉です。
自殺してもダメです。
意識を失った瞬間、死によって消滅した未来へ進めず、過去へ飛んでしまい、その瞬間に彼の死は未来となり、非実在化します。
よって永久に死ぬこともできません。
結果、彼は主観的には何万年も生き続けることになります。
意識だけが、彼の人生の中で、何万年も生きるのです。
………自分で書いててなんですが、解り辛いですな。
でも、とにかく物凄い話だったんです。
しばらくはこの不安感から、逃れられそうもありません。


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高時あいか
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