日常妄想
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2003年08月09日(土) 『時には昔の話を』のこと。

+8日はうちのママンの誕生日、今日9日は、中・高と学生時代に仲のよかった友達の誕生日だった。彼女は仲間内でいちばん最初にひとの親になったママン第1号だが、もうその子も2歳半ぐらいになったろう。年賀状で見た写真がクリソツでね……確かに流れるつながりを感じた。元気にしてるだろうか。

結婚式の日にはじめて会った、彼女の短大時代の友達のほうが、恐らく近年の彼女をよく知っているに違いない。彼女に、親しかったはずの自分が知らない世界があることを知ってしまって、時間とともに流れてしまったものに気づき、少なからずショックを感じたものだった。

それを友達に話したら、「寂しいけど、あたしたちはもう卒業した、ってことなんだろうね……」という答えが返ってきた。人間は卒業という言葉でいろいろな物事の区切りを付けようとする。友達もこのとき、"そういうものだ" という感じに、彼女について、彼女の自分に対する認識についてを改めたのかもしれない。

人間関係というか、人間の心なんていうファジー(死語)なものは、本来ならキッチリと線を引いてわけられるようなものではなく、その必要も無いものと思うが、いろいろな取り決めによって形の整えられている世の中では、そうも言ってはいられないし、モラルのほかにケジメが必要なケースもあったりなどする。友人関係においては、たぶん、双方の気持ちや生活環境だけの問題だ。別れる別れないというのは男女間の取り決めだしね。

縁遠くなったとしても、過去のことは事実として何ひとつ変わらないし、疎遠になるのがイヤなら自分から約束を取り付けるなどしてみればいいのだ。自分の気持ち次第。まぁね。そういうどうにでもできそうな感じのある微妙なところがあるからこそ、複雑になる気持ちというのもあったりしてね。

お互いの今がしあわせならば、それで昇華されるものがある。だからきっと、いまのままでもいいのだろう。不満ならそれを解消するべく動けばいいのだ。しあわせは歩いてこないのだと水前寺清子も言っている(笑)

時代、時代、時代……ル-ガルの時代、って懐かしいな ( ̄▽ ̄) <レサのモノローグ
自分が時を浪費していくことよりも、ひととの関わりで時の流れを深く実感する。わたしのことだから、このエピソードもここの日記に書いてそうだけど、時期的に微妙な感じかな。"エンピツ" で書きはじめたのが2年前なので。


+台風、ホントに来ましたな ( ̄▽ ̄)  という感じで、朝からすごい風雨でございました。買い物とカラオケに行こうと思っていたのを断念。だってねぇ……あんなにすごい天気のなかを、あえて出かけたいとは思わないっしょ。楽しくなるときってあるけどね(笑) 夕方になって雨も止んで晴れ間が覗いてきたので、写真を撮りました。雲間から見える光というのは、荘厳で神々しく、美しい。

2003_0809_03

実際の空はこんなに紫じゃなかったんだけども(汗)
2003_0809_02


予報だと、明日の最高気温は36度 ( ̄▽ ̄) 台風一過で晴天になるというのはわかるけどさ……でもさ……(泣笑) もとよりあまり開けられないのだが、悪天候で窓が開けられないため、クーラーつけっぱで頭イタイです。哀しいかな、クーラー無しでは生きられないが、クーラーが体によくないのも事実。微調整すればいい話なんだけどね。


(0810 17:35 UP)


書いてる人:ミァハ(双星たかはる)
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