I think so...
Even if there is tomorrow, and there is nothing, nothing changes now.
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2004年09月15日(水) 14歳のアタシから22歳のあたしに告ぐ

 「届かない、でも…」


午前0時過ぎの賑わうセンター街
光の波すり抜けてたどり着けば
成り行き任せの一夜限りのMake love
淋しさ補うよにカラダ重ねて

 抱きしめる度 狂おしい程に
 伝わる鼓動 消せない偽り

  「愛しているよ」なんて口では言ってみても
  “今日の次は明日”の保証は何処にもないから


眠りにつくより前に訪れた朝に
交わす言葉も無く溜息に濡れる

 届きそうで、でも、きっと届かない
 触れてる筈なのに温もりがない

  "降り続く雨だっていつかは終わりがある" 
  人は知っているから不安にはならないんでしょう?


  冬の次は春だと一体誰が決めたの?
  明日もその先にも何処にも保証はないよ

 別れ際さえキレイに彩る
 cashな愛だと人は云うけれど…

  "降り続く雨だっていつかは終わりがくる" 
  人は知っているのに不安になるのは何故?

  「愛しているよ」ぐらい本気で言えばよかった
  今日の次の明日の保証は何処にもないけど

  すれ違う人ごみで、も一度会えたならば
  その時にはお互い本気で愛しあおうか?
















































































































14歳だったあたしは何を想ってこの詞を書いたのだろうか。













ま、学生ってそんなもんかもね。


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