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2001年08月14日(火) 抜く

心は鞘。誰の心の中にも刀が納まっています。勿論私の心にも。いつでも抜ける様に、そして良く切れる様に手入れを怠らず、決して錆付かせず、納まっています。しかし鯉口を切り、同時に柄に手を掛ける事はあっても余程の事が無い限り抜く事はありません。そこに確かな「義」を感じた時には息もつかずに抜くでしょう。「抜かば斬れ、抜かずば斬るなその刀」。そう、抜いた限りは斬らねばなりません。ですから余程の覚悟が無ければ抜けません。何だか話しが恐ろしい方向に向かってきましたが、これはあくまでも心の刀の事です。心の有り様です。私達の日常の中では様々な出来事が起ります。楽しい事、嬉しい事、悲しい事、辛い事。我慢しなければならない事。そしてタマには無理難題を押し付けられる事もあるでしょう。しかしそんな事は小さい事であり、侭有る事です。ですからそんな事で心の刀を抜く事は勿論、柄に手を掛ける事もなりません。そしてそんな時こそ冷静に物事を見極められる様に心を鍛える事が肝心であると考えます。剣の奥義に達した人は刀を抜かずに勝負を決したと言います。そこまでの心境に達するのは無理でも心を鍛えていけば、例えば愛する者を守る時、心の刀を抜かずに相手を制する事が出来る様になるのかも知れません。ただ、その心境になる為にはやはり「義あればいつでも抜くぞ」という覚悟の積み重ねと心に刀が納まっているという自覚、そしてその刀を錆び付かせないという事なのではないでしょうか。


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