あれから7年もたつんですね。 7年前のあの日。私は大学生で後期試験の初日でした。 ちょうど目覚し時計が鳴り、目覚めた瞬間に地震が起こりました。 揺れが収まって、すぐにテレビをつけたら、京都は震度5。 CDがめちゃくちゃになったものの、外を見てもこれと言った被害はない。 ってことは、震度6の神戸も大したことはないのかなぁ・・・ それまで、震度2とか3しか経験がなかったから、 地震の怖さ、震度6がどんなものなのかなんて想像もつきませんでした。 なので、いつものように普通に学校に行こうと駅に向かったら、 駅は大混乱。 「学生さんは帰りなさい!」と駅員さんが叫んでました。 私は公衆電話で友達に電話をかけても、 大阪・神戸方面には全くつながらない。 でも、電車が動いてないから、学校に行けない。 テストのことを気にしながら、家に帰ると。 阪神高速が倒れている、テレビの映像が。
それでも、ずっとテストはどうなるのか。 私はそればかり考えていました。 神戸の友達と話すまでは。
彼らは、テストはおろか、学校の「が」の字も言いませんでした。 そんなことは頭になかったのです。
それから、地震の被害がわかっていくにつれ、 テストのことばっかり考えてた自分が恥ずかしくなりました。 当時、ADもしていたのですが、私のついていた番組のDJさんは、 二人、被災されました。 いつも笑顔だったDJさんが、ようやくつながった電話で泣いてたときは、 本当に悲しかった。 情報が錯綜してた時だったので、ADも皆、情報収集に必死でした。 少しでも役に立てるようにって、皆、そう思ってました。 でも、実際に被災した方の気持ちは、やっぱりわかりきれないって 今でもそう思います。 街は復興していってはいるけど、 震災遺児たちの心の傷は簡単には癒されない。 消えることのない傷は、まだまだある。
「ボランティア元年」と言われた阪神大震災。 何ができるかわからないけど、何かしたいと言う気持ちは なくさないでいたいと思います。
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