潔 ノ 森

2008年06月24日(火)

□ 覚書

ニジンスキー  石福恒雄 著 より

彼は狂うことに恐怖を抱いていたようである。いままでの戦いが、無意味な狂気――狂気が無意味であるとしたら――のなかに果ててしまうことはあまりにもみじめだからである。彼は自分に迫りくる狂気をまえにして、
 <私の狂気、それは人類に対する私の愛だ>
と叫んだ。このことばはたしかにある意味で正しい。なぜなら、彼は狂気のなかでこそ神となり、全人類を愛しはじめたからである。彼は狂気のなかではじめてアウトサイダーであることをやめた。彼の手記の最後は
 <すべてが歓喜だ>
ということばで終っている。

 ニジンスキーが舞いおりて来たといわれたこの <別世界>、彼が 永遠に 飛翔して行ったもう一つの <別世界>、この二つは違うものなのであろうか。
 宇宙、世界を意味するラテン語の mundus ということばには <深みよりの律動> という意味がこめられている。このことにも示唆されているように、宇宙は生きて躍動する運動そのものなのだ。宇宙は黙してはいても決して静的な、不動のものではない。宇宙は真底から <おどり> なのである。宇宙は <おどる> のである。しかしこの運動は物理的なものではなく、窮極的に分子や原子に還元できるようなものでもない。この運動はまた別なことばでいえば、<愛> ということができるものである。けれどもこの愛は、男女の愛のように、二人の上に閉ざされた愛ではない。人格的なものも、非人格的なものも、すべてを包摂しながら、すべてに開かれている愛である。この愛のなかですべてのものはその存在を保持し、成熟し、自らの存在を展開し、花開き、自己を開示することができるのだ。

こうしてみるとニジンスキーが舞いおりて来たあの <おどり> の世界、彼が永遠に飛翔して行った <愛> の世界は、同じ一つの愛と歓喜の世界だったといえるであろう。バレエとは、宇宙の根源的なおどりというリズムが、つまりあの <根源的な愛> が、美しく奏でられる時間なのである。
 ニジンスキーの発狂は、実はこの <根源> への出立であった。




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