愚理夢り始めの頃は、Vo.の現神サンと、Gt.その他イロイロの司馬さんといった二人組だった。
バンド形態になって初めて見た愚理夢。 参謀の館の水晶球を通してではなく、自分の水晶体を通しての愚理夢。 現神さんの動き、ステージから送られるバンドの音といった「表面的なモノ」は信号に置き換えられ、大脳へ届けられ映像として写り、音として認識される。しかし、音と共に伝わる「何か」、フトした時に見せるメンバーの表情をみて、感じる「何か」といった、彼らの内側にあるものは、大脳ではなく、何処かに送られていくので、映像としては写らない=目には見えない。でも、確実にこの身体に残っている。俗に言う「心」に。
身体を解剖しても発見できない心という場所。でもそれは臓器として発見できないだけであって、ちゃんと存在するものだと思う。 (心の蔵、心臓には記憶する細胞なんて存在しないんだけど、心臓移植を受けた人に、前の心臓の持ち主の記憶が宿ると言う事を聞いたことがある) 大脳から心に行くのではなくて、心に届いたものが血流にのって大脳に送られる。それはきっと脳では処理できない、解読できない信号なのだろう。そういったモノを「感動」とか、「〜な感じ」「思い」と呼ぶのだと思う。目には見えないものだけに、相手に伝えるのが大変なときもあるはずだ。
一生懸命さは、実はとてもカッコイイ事なんだと知った、愚理夢のライブ。 中途半端ではない彼らの気迫。目を、心を離せない。 歌に込められた思いが伝わるのは、それだけ伝える側が強く思っているからなんだろう。気持ちを込めて歌えるVoのチカラの見せ所でもある。
キャンディーや缶バッチや、汗や涙や、ともすると懸命さから出る悔しさ。それさえも受けとれるライブをやっていることに、気づいてないのは、案外、愚理夢・本人達なのかもしれない。
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