〓月夜の日記〓
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夫の父親がなくなってから
ずっと泣けなかった。
それは 姑が ずっとうるさく 一日中口を開いては
大声でしゃべりつづけるからだ。
いいかげんにしてほしかった。。。
葬儀の打ち合わせも 姑の電話する大声で かき消されているほどだ。
時間はたっぷりあったのに
何も今やらなくてもいいだろうと言われると
「なんでよ! ○○さんに電話しなくちゃいけないでしょ!」と大声で言い
ずっと 電話にかじりついていた。
舅の希望は 密葬だと 自分で言いながら
スピーカーのごとく しゃべりつづけ 色んな人に知らせまくったので
(遺体が病院から戻ってきてからずっと)
正直驚いた。
でも・・・・いつでもそう。
電話ばかりしている。 自分の名前をまず名乗らないような
失礼な電話だ。
そんな繰り返しで 家族との会話を聞いてるだけでも
私は苦しくなって その場にいたくなくなる。
毎日つらかった〜。。。
舅の死どころじゃなかった。 その声で。
早い時間から どんどん電話したせいで
喪服を着て 葬儀にこられないけれど、と近所の人やらなんやらが
駆けつけてくださって。
なのに姑は 電話でしゃべったままだったり、
姑が座ってるから、 お参りするのに部屋に通れなくて・・・。
太った姑が べったり電話の前に陣取って
その姿を 見ているのがまた いやだったな・・・。
通れないっつうのに!っていうかんじ。
ま、しかし しゃべらせておいたほうが いいと
夫も義姉夫婦も 放っておいてる。 それしかないのかい・・・。
葬儀の打ち合わせの最中も 大声で 色んな人に電話かけまくりで
夫達で全部 話をつけていたけど
打ち合わせの人も さぞ 居辛かったことだろうな。。。
そんな中
舅の死は そろそろだと予感していた家族も
あまりに急で、 哀しみに変わって。
私は 冷静にうけとめて 遺体を見ても心は静かなままだったし
葬儀でも 泣かなかった。ただ 黙って見つめるだけだった。
とうとう 泣いたのは
火葬場に向かうマイクロバスの中でだ。
まわりは全部 夫側の親戚だらけ。
花に囲まれた遺影を 夫が補助席にのせながら支えてて
それを私も支えていたのだけど 一人用の席に座っている私に
「膝にのせて持ってて」というので
私は 自分の膝の上に遺影をのせた。
思ったよりもずっしりと重く 私の頭より上まで大きかった。
すると 遺影で人から死角になって 自分だけの世界みたいになった。
遺影の裏は 発泡スチロールが剥き出しになり そこに楊枝が何本もささってて
遺影を入れて ベニヤで封をしてる部分を 支えていた。
それを見ていたら
ジワジワと 涙がどんどん流れてしまい・・・・。
泣きたくはないので こらえていたのに
どうにも 号泣みたいになってしまった。
なんだよ、爪楊枝かよ〜とか 心で突っ込んでいたのだが
遺影の 思ったよりある重みに なんだか 舅の死が 身近に感じたのだった。
舅の遺体は とても小さくなっていて
湯灌というのをしたので 親族の前でシャワーをかけて 頭洗ったり
全身を洗ってくれたが
それは・・・ 舅は人に見せたくなかっただろうな、と思ったので
私はあえて さわらなかった。
おしゃれな舅のことだ、そんなシーンは見せたくなかっただろう。
もちろん 顔から首と 足首から下以外は 見えないようにタオルで
覆ってはいるが、髪の毛洗ったり そんなこと
人前でしてほしくはなかっただろうな・・・と思ったので。
姑は あれこれ 遺体に言いながら しつこくシャンプーしていた。
ずっと風呂に入りたがっていたんだそうだ。
そうだよね・・・。それはよくわかる。
それを見ながら 家族は泣いていた。 姪っ子もシャンプーしてあげてた。
私は遠くから見ていた。
家族側から一歩引いた気分だったっけ。。。
その清めた遺体を とうとう火葬場に持っていき
以前住んでいたアパートのすぐ近くの火葬場で 焼くため行ったマイクロバスの
中で 泣き出した私に
誰も声をかける人はもちろん いなかった。
夫が 横で 親戚や 舅の知り合いの方達と
話をしている声が ずっと聞こえていた。
着いたら そのまま すぐに 出棺だ。
そのときに 整列して 順番に拝むんだけど
ずっと 泣きっぱなしになってしまって つらかった。
家族は 焼くときは 普通にしてたっけ。
ツボが違うのか? 不思議だ。自分でも。
それからはもう 泣くことはなかった。
遺骨になった姿を見ても ぼろぼろでもろいな・・・と思っただけで
頭蓋骨もばらばらで 姿がわからないな、って思っただけで。
おじいちゃんが死んだとき 焼いて出てきた骨は
80歳とは思えないほど 見事に人の形のまま 特に頭はキッチリ形になって
出てきたので なるほど〜と感心したほどだったけど
舅はずっと病気がちだったから、 骨ももろくなってしまったのだろう。
家族は 骨をみて ずっと泣いていたっけ。
その頃には うちの母親も到着していたので ちょっとリラックスした。
あとはもう 葬儀が終るまで 苦しくて、
早く終ればいいなと思っていた。
終って母親と別れて 夫の実家に戻ったあとも 苦しくて
日々 夫の実家で 過ごさなければいけない時間が 苦痛でしょうがなかった。
夜 とうとう
思いついたように
「あなたのうちに 住まわせてくれる?!」と 言い出したときには
はっきり 瞬時に断っておいたけど
さすがにあきれた。
私の母親や 親戚には さんざん 「独りで大丈夫!伸び伸び暮らすわ!」
なんて 大声で言っていたっていうのに。。。
毎日この おしゃべりを 聞かなきゃいけないわけ?と
うんざりだった。。。。
それくらい 合わないのだ。
自分の子供達も うんざりしてるくらいだし 当然だろう。
でも 肉親なら ずっとそうだから 聞き流して適当にあしらえるけど
もう私は限界だ。。。
付き合いきれない。。。
昼間 あまりにうるさい姑の言い分に
夫が言い返したら、
姑は「あたしに 怒るなよ!」と逆切れ。しかも 二度も言った!
いつも 言いたいことばかり言ってるのに
息子が ちょっと言い返したら これかよっ?!と
私はまた 気が遠くなって ほんとに 舅の死を悲しむ気分には
なれないくらいなのだ。
古くて しゃべりすぎて よく聞こえなくなった電話機を
見繕って、 葬儀が終ったあと、買ってきてあげたのに お礼すらなかったし。
まあ、お礼なんてどうでもいいし 期待してないけど
自分は 言いたい放題 人の言うことは全く聞いてない、その身勝手さ。
膝が痛くて自由に動けないくらい 太った体。
そこからでる 大声。。。
70歳になろうとするには
頭は冴えてるけど あまりにも 依存心がありすぎる。。。
持ち家もあるし 年金も入るし、ご近所も親切なのに。
夫は 想像以上に 家族にべったりなので
私はますます 引いてしまう。。。
舅はここ一年くらい 入退院を繰り返していて
亡くなるまでは 10月から 一ヶ月ほど入院したままだった。
私はずっと 思っていた。
舅が亡くなったあとのことを。
夫は 自分から きちっとした話し合いが 出来ないタイプで
言いにくいことを 言い出さない。
私はもう 自分から 話題を振るということは 一切したくないので
言い出すまでは 黙っているが
今後の出方では 離婚することになるだろう。
私は独りで生きていくために ちゃんとした仕事探したり
今後の生活について 考えなくてはな・・・・と思う。
私の考えは 結婚するときにすでに 夫は把握しているはずだ。
自分の家族とも 同居する意思はないことも。
ましてや あの姑とは 暮らせるわけがないし。
長男として どうにかしてあげたい気持ちはわかる。
でも 自分で生きる努力をしないで 子供に頼る姿はどうだろう?
きっと 今だけだろうと 夫は言っていた。
最初だけ うるさいんだと。
でも静かな 姑を 見たことないし。
ふぅ・・・。
舅の状態が悪いと聞いてからずっと
不安だったな・・・。 唯一酒飲み仲間ってかんじで
去年の正月までは 一緒に飲んだけど 今年はもう飲めなかったしね。。。
来年の正月は どうなるんだろう。
来年の自分は どうかな・・・。
なるようにしか ならないけども、 まあ、夫の判断にまかせよう。
私たちの心は すでに 離れてる感じもあるし。
少なくとも私はすでに だ。
はぁ・・・。
とりあえず 今の仕事を 覚えてこなすしかない。
まだ入ったばかりで こんなに休んでしまい、迷惑かけてしまった。
もうしばらく 休めないなあ。。。と思う。
とりあえず ご飯炊いて ちゃんと会社行って、
日々の生活を 送ることが優先だな。。。
舅には 闘病お疲れ様でした、ということと あの世で楽しく
ビールでも呑んで欲しいな、ということを 伝えたつもり。
早く 姑も落ち着いて 前向きに暮らしていくことを 考えて欲しい。
相方の死は さぞかしつらいだろうな、と思う。それはそう思うけど
死を覚悟する時間は 長すぎるくらいあったし。
去年からずっとだったしね。。。
冠婚葬祭が 苦手な私は
苦しい日々を強いられたけど
これでしばらく 49日までは まずなんとか落ち着けるかと思うと
ほっとする。。。
あとは 納骨か。
現代の葬儀って おかしなところがいっぱいで
ますます 自分のときは 密葬でささっと やってほしいなと
願わずにはいられない。
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