日々是変化...遊丸   
炎の蜃気楼(直高小説、イラスト等)&犬夜叉(弥犬小説、イラスト等)ファンサイト『七変化』の日記
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「思念」というコミュニケーションツール。
- 2003年04月15日(火)


15:48。

にゃはははは、遊丸です、こんにちは。
数日前に動物の話をするとか言いつつ、それっきり書いていませんでしたね。

僕ねー動物は本当にダメなんですよ。
ダメって、苦手ってことじゃなくて、その反対。
「メロメロになっちゃってダメ」なんです。


今は動物は何も飼っていませんが、
小さい頃から身近に猫がいた時が多かったので、特に猫には激弱です。
結構甘やかす方なんですが、友達感覚で一緒にふざけ合うことが多いので、
僕の飼う猫は大概オテンバで、尚且つ「俺様」になります(笑)。
むしろ僕が飼われてます、奴隷です(笑)。
でも、むりやりキスするのはいつも僕の方です(笑)。

BL小説の下克上ラブラブカップルかっつうの(笑)。


そんな風に僕は猫たちと非常に仲が良かったので、
猫たちに「普通に話しかける」癖がついてしまっているようでして。

ええ。普通に話すんです。

動物を飼っている人なら誰でも動物に話しかけるでしょうけれど、
僕の場合はちょっと変なのかも知れません。
「だめ」とか「おいで」とか、そういう短い単語形式だけでなく、
普通のセンテンスで話しかけたりします。
「みーやん(名前)何やってんのー?」とか、
「だから今はふざけてるんじゃないって言ってんじゃーん、頼むよー」とか。
もちろん、みーやんは人語は理解しないでしょうけれど、
でも僕としては通じると思って話してます。
実際、口に出してしまえば、言葉って案外通じるもんなんです。
みーやんに「何やってんのー?」と聞けば、
みーやんは「自分が何をしているのかを問われている」と猫なりの頭脳で理解しているはずです。


思うんですが、コミュニケーションって、
社会が複雑化した人間同士の方がよっぽど「通じない」部分があるかも知れません。

純粋に「思念」に頼るだけの意思疎通というのも、
意外と大切なんじゃないかという気がします。
言葉を持つことによって、忘れてしまったこともあるかも知れません、人間は。
念じれば何かしら伝わりますし、念じなければ言葉が正確だとしても伝わりません。
でも、実は僕は「言葉至上主義」っぽいところもあるんですけどね、これでも(笑)。


それで、僕は猫に限らず動物とやたらと会話してしまうようでして。
自分ではあまり意識していないんですが、自然と話しかけてしまうんです。

何年か前に北海道の牧場に数ヶ月間いたことがあるんですが、
牛にもついつい話しかけていたんですねー僕。
水槽の掃除とかしていると、彼らも彼らで、僕に何かと「話しかけて」くるんですよ。
「何やってんねん?」とか、
タワシの匂いを嗅ぎながら「これは何?」とか、
「遊んでくれぇ〜」とか。
なもんで、僕も僕で、
「わかったよ〜これは今使ってるんだから〜ああそうだよ、洗ってるの〜」
などと、ぶつぶつと彼らと話をしていたのですが、
これが傍から見たら変な光景だったらしく、
他の牧場の従業員が「他に誰かいるのかと思った」と笑ってました。
他に誰かって・・牛たちがいるじゃん?(笑)

牛もね、一頭一頭個性があって面白いですよ。
人懐っこいやつとか、妙にタカビーなやつとか、恥ずかしがりやなやつとか。
彼らに言葉はないですが、ちゃんとそれなりに自己主張できてますしね。



言葉は人と人との距離を縮めるものなのか、隔てるものなのか・・・




...




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