おおみち礼治のてくてく日記
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2015年09月17日(木) 安保法案に関して思うこと

いまは左翼の声が強くて、右翼の声があまり聞こえない。むろん、政府は右寄りだし、自分で調べるなりすればたくさん出てくるし、右側の考え方をする人もけっこういるんだけども、あまり公に声を大にしていえない雰囲気があるような気がする。
ちょっと右側からモノを言うと、ネトウヨだとかレッテルを貼って、せせら笑う人がいるので別に政治家であるわけでもなし、そんなところで変なイメージを持たれるより、スムーズな人間関係の方が大事だからあえて何も言わないという感じだろうか。

ホリエモンがSEALDsの活動について、「あいかわらず暇人笑」と発言していて――ホリエモンは好きになれないのだけれども、これに関しては賛同。いや、嘲笑は感心しないが、それでもどちらかといえばそう思う。

暇人か否かはともかく、反対派はまるで安保法案に反対するひとが大多数であるかのように言うけども、安保法案にも言及していた前選挙の結果、自民党が圧勝しているのだからそれは間違い。反対している人たちはそこを直視すべきだし、自分はどこの誰に投票したのか、あるいはそもそも選挙に行ったのかどうか問いたい。対案を提示できない党に投票した?

自民党に投票した人だって安保に関してよくわかっていなかったのだと言っても――仮にそうだったとしても投票した以上、責任がある。それを翻して、知らなかったといっても通るものではない。車で信号を無視して歩行者をはねてしまった運転手が、赤で止まるものとは知りませんでしたと言い訳しているようなもの。後出しジャンケンじゃないんだし。選挙の場合、投票した個人の責任が問われることはないが、それでも自分がしたことにまったく責がないとは言えない。

左翼の典型だと思うのは、「何でもいいからとにかく反対」というスタンスだ。実際、SEALDsのどなたかが言ってますよね。
ではどうすればいいのか、安保に関して言えば、現在の国際情勢を見て、どうすべきなのか言えないのに、ただ反対反対と叫んでいるだけ。それでは道理に合わない。
政府は安保法案を出した。それに反対だというなら、それに代わる案を出さなくては話にならない。

何を信じるのか、どう見えているのかということだが、国際情勢を見て、右側の「それなりに準備、対応できる体制を整えておかなかったら危ない」という主張(というか、そう見えている)と左側の「戦争ができる国になる。憲法違反である。徴兵制が復活するかも知れない」という見方、どちらが正しいというのではなく可能性としてはどちらもある。

ベースとなる見え方が違うので話しがかみ合わない。右の、「もし攻めてきたときどうするのか」という発問に対し、左はそもそも「あれはアメリカと一緒に戦争するための法案だ。話し合いで何とかなる」と見えているのだから、左からしたら「戦争したがっているのだ」ということになるのもわかる。しかしそれにしても国際情勢を知っていてそういうのはおめでたいというか、外国寄りすぎると思うけど。

デモ結構。どうぞご自由に。
しかし、極端に走ると間違う。ハッキリと間違いだと言える。右も左も建前の平和や調和ではなく、「自分の主張が正しい」というところに酔ってしまうと、そのためには多少の犠牲も厭わないということになりかねない。そこまできたらさすがに自分でこれはオカシイと気が付かなくてはいけないが、片側の情報ばかり受け入れ、同じような考えの人ばかりに囲まれているとおかしいことに気が付けない。もうひとつ気になるのは、実は反対かどうかは建前で、ただ目立ちたいだけだったり自我を満足させるのが目的でやっている人がいるんではないかということだ。それは世の中を混乱させるだけですからやめてください。

偏ってはならない。右左どちらかに真理や正義があるわけではない。もしあるなら、極左、極右のどちらかが正しいことになるが、どちらも世間に迷惑をかけているだけである。
世間、一般人は烏合の衆に過ぎないが、それでも迷惑をかけて平然としていられるとしたらまともじゃない。

だから、極端ではなく“ほどよく”がいいのだ。そんないい加減なと思う向きもあるかもしれないが、このままでいいんじゃないかという保守では、それこそ極端な話し原始時代のままでいいんじゃないかとなるし、現状を変えてやろうと急進するのもそれまでの歴史や重み、個人で言ったらそれまでの人生、やり方というものもあるのだから困る人が出る。まったくそのままでいいとは思わないし、何もかも変革すればいいというモノでもない。だから“ほどよく”。それには自分をコントロールできなくてはならない。できないものが極端に走るのである。

日本は慎重で常にブレーキをかけながらやっている印象だが、隣の国では急速に軍事力を拡大し、海洋進出を目論んでいるのが明らかな情勢で、安保法案ひとつ通せないのでは、中朝が手をたたいて喜ぶだけだ。もしかして、彼らにやらされているんですかね?
中朝が悲しんだり怒ったり憂えたりするようにすればいいのかということではない。誰がどう思うかではなく、日本を他国に明け渡したくないのなら、どうすればいいのか述べてもらいたい。別の案があるわけでもないのに、ただ反対といいうのでは日本を明け渡したいのかといわれかねない。

安保法案に賛成なのか反対なのかと言われるとどっちでもない。安保法案が完璧などとはまったく思わない。準備を整え――端的に言って軍拡を進めた場合、軍拡競争が起きるだろう。それがずっと続くわけがない。どこかでバランスを崩して、ではやってやろうかということになる。世界では軍縮会議も行われるのだけども、相手がそれに素直に応じると思うのか、応じたとして何らかの条約を締結したとしても、それを守るような国だと思うのかということもある。右も左も立場でモノを言うのはやめて(混乱するだけで何も決まらない。同じところをぐるぐる回っているだけになる)、そこを真剣に議論してもらいたい。どうすべきか、だ。

追記
民主主義を守ること、憲法を守ること。そんなことはどうでもいい。大事なのは私たち(人類)が快適に暮らしていくことである。そのための方法論として民主主義や憲法がある。快適ではない、このままではまずいと先が見えているのにこだわる理由はない。こだわるのは、そうであることで利益を得ているものが(変えられたら)困るからだ。こだわって不快な思いをし続けるんじゃ仕方がない。


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