おおみち礼治のてくてく日記
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2015年08月03日(月) 一点

たぶん。
安倍総理の言い分に、たとえば山本議員の言い分に、感情的に――あるいは批判的になるのならそれはどちらかにずれている可能性がある。冷静に左右の話を聞けないのならどちらかにずれている可能性がある。たしかに、それは右過ぎるとか左過ぎる(不自然である)と感じることがあるが、別に怒ることはない。右はこうですね、左はこうなんですねと確認すればいいだけだ。

たとえば、音楽で言うなら同じドの音にもドの中のドという音がある。何事にも、ここしかないという一点がある。与党だ野党だというのではなく、全員でその一点を求めるべき。といっても、人間は業だらけだから、少しでも自分が有利になるように(バランス悪く)考える。そういう人間が集まってもまとまるモノはない。

一点とは、妥協の産物ではなく、誰もが納得できる“ここしかない”というポイントだ。すなわち中心である。偏ったものをみると居心地が悪く感じ、反抗したくなるのは、それが不自然だからだ。一点にいたったとたん物事がスーッと動きだし、または安定するのは、それが自然だからだ。不自然なものは瓦解する。

「イケメンに限る」ではないが、ある属性の者だけが優遇されるようなことではいけない。男も女も、背の高い人も低い人も、金持ちも貧乏人も、国も、肌の色も、宗教も、あらゆる違いの根本にある人間として共通した事柄。よほど偏った、歪んだ人でない限り認めざるを得ない絶対の一点。

右でも左でもないど真ん中。中道というのはまだ曖昧だ。絶対の一点。既成概念にはない。それは頭をこねくり回して達するたぐいのものではなく、感覚的に、一瞬でとらえるものだ。現代人は頭ばかり使っているから、この感覚を取り戻すには修練がいる。

絶対の一点というものがあることを知らず、左右しか知らないが故、いつまでたっても右と左に分かれて、お互いにオレが正しいのだと主張し、あるいは自分たちの主張に酔い、相手をコケにして――ひいては戦争をしているのだ。人類は。


おおみち礼治 |MAIL

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