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おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
40歳代半ばあたりの知り合いの中に、東京大学を卒業し、若い頃は某大企業に勤め、有名タレントと一緒に一度は聞いたことのある演劇グループを立ち上げ、自分のヨット(けっこうでかい)を持っており、超がつくくらいの高級マンションに奥さんと二人暮らしで、現在は作家という――自然体で普通の人なんだけど、いろいろ話を聞くと、それはもうあらゆることをやっているエネルギッシュな人もいるし、2畳だか3畳のアパート(!)に一人暮らしで、会社に勤めてはいるものの、モットーは「いかに仕事をしないで給料をもらうか」であり、結婚する気もなく、やりたいことがない人が会社に入るのだ、と公然と言う、やはり40歳代半ばの人もいる。
わしはそのどちらにもなれないけれども、ちょっと考えてしまうね。他人と比べることはないが、前者の人を見た後だと、わしはぼんやりしすぎていると思う。(^^; 面倒くさがり屋だからだと自分を責めていたこともあるが、そうではなくて、どうやら健康な人にはない体調不良が自分にはあるようだと分かったので、その点は諦めた。もちろん、良くする努力はずっと続ける。 自分以外の人間を体験することは出来ないから、そういうもの、と思っていたことが、まったく違う面もあると分かるには時間がかかる。自分の周りには自分と同じようなレベル(社会的、精神的...)の人しかいないので――世間とはこんなものという自分の意識の程度の世間しか、見ることも、知ることも、理解をも得られない。だが、ひょんなことでレベルの違う(高い)人が現れると、今までとは別の世界が見られて刺激になる。自分の知っている世界が世界のすべてではないのだと分かる。 だから、絶望することはない。ポジティブな――落ち着いた、それでいいと心から納得して生きられる世界は確かにあるのだ。自分の中になかっただけである。 後者の人は、自ら望んで――というか、選んで、そのように生きているのであって、本人は納得しているのだよね。わしは、同じように生活したいとは思わないが、望まないのにそうなってしまう可能性はある。(笑) どのように生きていきたいのか、どうなりたいのか、きちんと見定めて、無理なく自分の出来る範囲で動いていきたいと思った。
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