THOKOの日々

2008年03月25日(火) 尺度

人間らしい生活がしたかったから、友人たちに別れの挨拶をする間もなく引っ越した。我慢が限界だったのだ。生活環境が整わず日が過ぎていく。結局意を決してかつて闊歩した街に出かけた。見渡す限り人人人。かつて都会育ちで田舎町にいたカナダ人と新宿に行った事がある。たくさんの人を見て目を輝かせていた理由が今ならわかる。人は人がいて己の存在を確かめられる。息をふきかえすのだ。私は、駅まで徒歩圏内で、1キロ以内で日用品も食料品も好みのものがそろうところで生活してきた。最寄り駅まで歩く道すがらに銀行やコンビニやスーパーがあり、デパートもあった。大きな街までも30分だった。都会で仕事に疲れては、写真を撮りに自然を求めて出かけた。田舎に住む人が映画にかじりついていたり、時々都会へ行く事を奇妙に感じていた。大海を見た蛙が、井の中に居続けるのは難しい。カナダから帰国した後放心状態で現実を見たくなかったのもそれだろう。その立場ごとに抱く思いが違うということだ。見失いがちなことだ。久しぶりに歩いた街はわずかな変化がありながらも、昔より私に優しかった。有楽町は丸井ができて人通りの波が違っていた。昔は有楽町を銀座を六本木を雑誌から抜け出したようなスタイルで闊歩し、値札も見ずに買い物をしていた。今は家財道具を持ってジーンズにダウンジャケットとスニーカー。銀座でも浮いていた。動きやすいスタイルで値札を見ながら一考してお買い上げ。昔はこんな暮らしは嫌だった。惨めに思えて仕方なかった。そう、あの頃は見栄をはれなくなったら終わりだった。昔の尺度で計ると自分の変わりようは滑稽だ。まるでポリシーがないようで。しかし何かを失い何かを得るのが人間なのかもしれない。ここで街に呑まれず生きる事を知った。人からエネルギーを吸吸って街自体が生きている。大地をむやみに耕す事で人は己を抱き止めてくれる大地を失った。そして街が選んだ人だけが成功する。この街と新天地とはえらい違いがある。私には初挑戦ばかりだが、強く望めばこれからの環境にも順応できると信じる。年だから、『できない』なんて自分への言い訳はしないでいこう。『年だから時間がかかる』だけのことだ。


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