ぴょんきち活きる、生きる道
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2006年01月10日(火) 自分の弱さが胸を刺すとき

田舎から出てきてから、今年で10年目になる。
新聞奨学生として働いていた5年間と同じ5年を
普通の社会人として過ごそうとしている。

WAKEUP!とも6,7年のお付き合い。
残念ながら現役奨学生の日記は減ってしまったものの、
以前と変わらず、新聞奨学生の意見交換の場として
ちゃんと存在してくれていることがありがたい。。

1年以上も日記を更新せずにいた身分で、でかい口は
たたけないのだが…ごめんなさい

奨学生をしていたあの頃―
過去の経験としてでしか、あの、喜怒哀楽の日々のことを書けなくなった。
今、リアルタイムでいろんな思いをしている現役の人たちと同じ気持ちで
は書けなくなってしまった。当然だが。
だけど、かげながらずっと奨学生をしている方々を応援していきたいなぁ
と思います。

現役のときは、配達の最中に日記に書くネタを考えたりしていた。
でも、私の場合、ほとんど、その時その時、自分がパソコンの前に
座っているまさにその時!の感情で日記を書きなぐっていた。

更新回数は少なかったけど、書いたのに消してしまった
日記の数はものすごく多かった気がする。
重すぎて見せらんないよー、とか。
軽すぎてつまんないよー、とか。
ありのままを書けばいいのに。
ただただ、お恥ずかしながら弱かったのだ。。
泣いてばかりいたのだ。

とにかく、配達がこわかった。

深夜3時頃の外灯も少ない道をバイクで走るだけで
心臓が飛び出さんばかりにバクバクした。

車のランプの明かりが反射されて、人影に見えるたびに
「おじいちゃんおばあちゃんお守りください」て手をあわせながら
バイクをおりてポストに走った。

お賽銭箱のところだけライトアップされている神社の前のアパートの
2階に新聞を入れるときは生きた心地がしなかった。
契約更新のときの縛りの拡張はあえてしなかった。
確信犯だったのだ。。。とにかくこわいから。
でも、そういうところに限って、拡張員がカードをあげてきて
私の配達中のしばしの心の平穏はそんなにながくは続かなかったけど。

とにかく、死ぬのがこわかった。

新聞屋さんの交通事故の話を聞くたびに
新聞屋が集金中に刺されるニュースを耳にするたびに
「明日はわが身」といつも考えていた。

いつか、卒業する前に自分は何かの拍子に死んでしまうのでは
ないか、とおびえていた。
普通の大学生より、その可能性は高いような気がしていた。

自分が交通事故にあって頭を打ったときは
「あ〜なんか後頭部が柔らかい…まわりが白く濁って見える…
私は死んじゃうのかな?洗濯物、たまっちゃってるな。
お母さん、悲しむだろうな。死んだら化けて出て、大丈夫だよ、って
伝えなきゃ」て思った。

日々の睡眠不足で心がふわふわしているとき、
9階建てのマンションを配達していて、最上階から螺旋階段を
ぐるぐるおりながら配っていると、勢いよくくだる遠心力で
私はこのまま投げ出されるのかもしれない、っていう錯覚に
陥ったりしていた。その方が楽な気さえしていた。

でも、おかげさまでちゃんと生きている。
それも、弱かったからだと思う。

臆病で小心者でエスケープ癖のあるどうしようもないところは
今もあまり変わってないなぁ。

自分の弱さが胸にささるとき、
そのたびにもっと強くなりたいって思ってきた気がする。
弱いから、どうしようもない自分だってわかってるから
強く生きていかなくちゃと。



ぴょんきち