| 2005年01月20日(木) |
これもいわゆる初ですか |
やってしまった。
卒制関連の提出物に気を取られてうっかりその翌日の 唯一取っていた講義マンガ論Bの試験に行くのを忘れました。 日にちの感覚がすっかり…あああ。こもってるとこれだから! 気がついたのはその日の寝る前(今朝)でした。遅! 試験やってた時間自分は何してたかっていったら 普通に完徹明けでボンヤリしながら家で米炊いてたよ。 初めてできっと最後。単位落とした…!へこむ。 よりにもよって授業全部夢中で出てこれ以上ないくらい 好きだった講義が不可って理不尽というか切ないですねトホホ。 出席取らない授業ってこういうことあるから困るなー(ないない) 試験問題はもう事前に出されてて正直やるの楽しみにしてました。 出題内容は2問ある中から1つ選択するというもので やろうと思ってたのは2つめの問題 「自分とマンガとのかかわりについて具体的に述べよ」という 面白い問題でした。芸術とか文化とか語ってしまうのはマイナス。 あくまで“具体的”であるのがポイントらしく。逆に考えさせられる… 相手があの宮本大人氏なので思う存分書いてしまおうとか 思ってたのになー。残念無念。もう会う機会はないのかな。 その前に宮本氏はブログとか始めないのかな。夏目氏みたいな。
宮本氏の語りは聞きやすくて終始面白かったです。 夏目房之介氏も言ってたけどマンガ研究家の中では かなり頼もしい存在ですね。しかも若い。 特に戦前のマンガや手塚治虫に対する印象がこの人の話を聞いて すごく変わりました。手塚治虫を語らせたらこの人の右に出る人は いないんじゃなかろうかと言ってしまっていいほどの。 あの技法もその技法もあれもこれも手塚治虫が生み出したわけでは なかった。有名な「映画的手法」にしても然り。衝撃的でした。 それを踏まえて手塚先生の功績とは何かを改めて語ってくれました。 少ない情報で単にマンガの神様だと思い込んでた自分を反省したよ… 消えかかっていた戦前マンガの優れた技術を現代につなげてくれた救世主。 幼少時代から当時では考えられない大量のマンガに囲まれてた (うらやましい)手塚先生だからできたこと。 自分の中のイメージは神というよりは伝道師的なイメージになりました。 ある意味神なのは変わらないんですけどね。すごい人には変わりない。 宮本氏はその辺で見聞きするような知識でなく根が真面目な方なので 自身でちゃんと調べてる量や範囲がハンパでなく説得力があります。 いろんな視点から見てくれるので聞いてる側も総合して 自然とひとつの真実らしきものが見えてくるというか。 編集側でもそういう流れがあったのかとかもはや 何の役に立つとかは考えてはいけないトリビア的授業。 昔のものから近年のものに渡り幅広くめいっぱいやってくれました。 マンガバカにはたまらない授業だった… 幸せな講義をありがとうございました…!
ところで今日はいつもと違うパソで日記書いてます。 先日調子悪かったメインのパソがとうとう本気で壊れた…! どうしましたかデルー。まだ1年くらいしか経ってない よ! 作業関連のバックアップは取ったばかりだったのですが いままでのメールとか絵の途中データとかはみんな消えて しまったみたいです。特にメール消滅はイタイな… 内容が消えたのもとても困るけどまずアドレスとかその辺も。 サイト持ってる人とは連絡手段があるのでいいのですが それ以外の人のメルアドとか、メールで住所変更の報告して 下さった方のとかその辺が全部わからなくなってしまったので ここ見てましたらメールフォームからとかでいいので 気が向いた時にでも教えて下さると助かります>友人知人 あのメールソフトのバックアップの仕方っていまいち わからなかったのでしてなかったんですよねがっくり。 やっぱりメールはネット上に置いとけるフリーメールの方が いいのかなあ。そっちは安全性とかどうなんだろか。 MSNのホットメールアドレスは持ってるけど基本的に メールとしては利用してないんですよね。メッセ専用。 とにもかくにもまだ直ってないので何ともいえません。 直らないと作業の続きもできません。あわわーんこんな時に。 いままでで一番最悪な状態らしいです。まいったな。
今日一日をAAで表そう。
orz
すみません一度使ってみたかったんです いきなり大きい版もあれかと思って小さい版(何故) 最初なんかの単語の略かと思ってました。
あっでもアレだ。悪いことばかりでもないよ! 卒業旅行ほんとにあそこ行けたらいいね…! 豪華すぎて一生に一度かもしれないよ いつも本やTVや映画でしか見れなかった憧れの地。 そのためにも今はがんばろう。
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