かえるの日記&雑談

2004年09月11日(土) 高野山ウォーキング

早起きして友達と待合せて、なんばから高野山へ。
連れは小3からの付合いで、お互い小5の時に林間学校で揃って高野山に行ったことがある。
あの時は初めての学校行事でヨソに泊まったのだけど、大して仲良くない子と(出席番号かなんかで割り振りしたんだっけ??)同じ布団で寝かされてナンカ嫌だった……って今更なに愚痴こぼしてんの。

女人堂から波切不動・刈萱堂・金剛峰寺と回って、ものすごく不味い山菜そばとお寿司(こっちはまあコンビニ程度の味)の昼ご飯を食べて、根本中堂から奥の院へ。
お互い小五の時の記憶をほじくり返し、アレは見たコレは憶えてる、という話をずっとしていたら、連れが「そういえばグリコのお墓があった」と言う。奥の院の墓域はものすごく広大で、秀吉や光秀のお墓から色々な会社の創業者のお墓及び物故社員の追悼碑、大きな災害や戦争の鎮魂モニュメントなど二十万ぐらいあるらしい。
なんか形が変わってるのか(一粒三百米の絵柄つきとか)と聞くと、いや普通のお墓の形だった、でも通り道にあったのだと言うので、行きと帰りと道を代えてどこまでもどこまでもどこまでも…歩いていったら確かにあった!グリコのロゴ通りに彫ってあるというだけのごく普通のもの。でも当時の小学生からすれば『グリコキャラメルの会社のお墓』を見たのは大きなトピックスだったのだろうな。

お墓の出口にひときわ目を引く、キャンドルか行灯のような白いモニュメントがあり、碑文によると『第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔・同期の桜』であった。碑の周りを海軍風のキャップを被った渋々なお爺さんたちが掃除をしていて、ふと目が合ったので会釈したら、「明日は慰霊祭なんですわ」と話を始め、塔の内部にある出陣者全員の名前を彫った銅版を見せてくれた。
戦死した人も生還した人も、その後亡くなった人も勿論ここで掃除をしている人達の名前もあって、
「毎年ここに来ては自分の名前や友達の名前を擦って、俺は元気でやっとるぞーって話しかけますんや、」
……ストップお爺さん、それ以上聞くと私のジジ専スイッチが入ってボロボロ泣いてしまいます。しかも微量のヨコシマ入り…すいませんすいません。

お年は80代とのことだったが、皆背筋がしゃんとしてて顔立ちも引き締まっていて、全員京大生だとかで(これは余計か)とても姿のよいお年寄り達であった。
来年も再来年もなるべく長く、名前を擦りに来て欲しいと思う。ホントに。


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える夙川