| 2004年03月08日(月) |
三畳あれば寝られますね |
日テレ、スーパーテレビ情報最前線 『山で最期を迎えたい ある夫婦・・・2人の桃源郷』
ああ、ワシこういうのにホント弱いわ。 テレビ欄に見つけた時にフトなにか感じるところあってわざわざ予約録画までしてみた甲斐がありました。 番組始まった瞬間からすでに半泣きです。 簡単に内容を御紹介いたしますと、
ある年老いた夫婦が、終戦直後何もないところから2人だけの力で切り開き 3人の娘を育て上げた山奥の土地に再び戻り、電気も水道もない小さな小屋で生活してゆく様子を13年に及び撮り続けたドキュメンタリー
という番組。
なにがそんなに泣かせるかと言うとまあいろいろあるんですが、 まずなにしろこのおじちゃんおばあちゃんの仲の良いこと。 野っ原にただ並んで座ってるところとか、 手を繋いで散歩してたりとか、 そんな何気ない光景だけできゅんきゅんしゃうんだけど 特にヤラレタのは、 ある日、おばあちゃんが体調のあまり良くないおじいちゃんに 好物の松茸をとってきてあげようと、険しい山中を3時間もかけて(八十ナンボの老女がですよ!) 探したんだけど、結局見つからなくて帰りに見つけたりんどうの花を一輪、 おじいちゃんにもって帰るのですよ。 そしてそれを受け取ったおじいちゃんは大事そうにコップの水にその花を生けるのでした。 ぐはぁ。たまらん。 だいたい寝る時なんか古バスの中に手作りしたダブルベットで一緒になんですよこのふたりったらもう。
いいなあ、うらやましいなあ。 私の人生における最終目標はこんな老夫婦になることと言っても過言ではない。(相手は?)
しかしそんな2人にも様々な問題が立ちはだかるのです。 まず、身内(娘たち)の反対。 まあそれは至極もっともな事であります。 なにせ2人とも八十オーバーなのですから。 そんな年老いた親を電気も水道もない山奥に住まわせておいて平気な子がいるわけありません。 そして一時はおじいちゃん自身の体調の不良もあり、しぶしぶながら山を降りて老人ホームに入った2人なのですが、 その様子たるや赤の他人の私ですら見るに耐えないものでした。 なんていうか、もうあからさまに元気なくなっちゃって。 そのションボリっぷりときたらまるで『アルムの山に帰りたいハイジ』のごとくです。 周りもさすがにそんな様子を見兼ねてか、ふもとの老人ホームから毎日山へ通うこと(因みに自分で車を運転して!)が許されます。 するとどうでしょう、あんなに生気を無くし下手したら明日にでもボケちゃうんじゃないかといった塩梅だった2人の表情は、たちまちゲンキンなくらい輝きを増しガツガツと畑を耕し始めるのでした。
そんな両親をみた娘達の心も次第に変わってゆきます。 「2人を山にいさせてあげよう」「そのためにできる限りのことをしてあげよう」と。 娘達は暇を作っては山を訪れ一緒に畑を耕します。年に一度は孫の代まで一族郎党が山に大集合します。 そしてついには娘の1人が稼業をたたみ大阪から山のふもとの街へ引っ越してくることになりました。 そのことを告げに老人ホームを訪れた娘を見送る2人の姿。(内容紹介ページの下から2番目の写真) 雨の中、あまり自由にならないお互いの体を支えあうようにして、帰ってゆく娘に何度何度も深く頭を下げるおじいちゃん、 いつまでもいつまでも体全体を揺らす程大きく手を振りつづけるおばあちゃん・・・ (ここでもうワシやもたてもたまらず号泣) なんかものすごい良い映画のワンシーンを見たみたい。いや、それ以上か。 そんな2人だからこそこの娘さんなのだろうなあ。 あと特筆すべきはその娘さんの旦那さん。稼業をたたみ(普通に考えたらかなりやっかいな)嫁さんの両親の元へ引っ越すことになんの躊躇いもなく理解を示し賛成してくれたその人は「お義父さんのことは男として尊敬している」と。 いやはや参った。やはりこの嫁さんにしてこの旦那なのでしょう。素晴らしい。
そして、もうひとつの避けられない問題。 それは「老い」 悲しいことに現在おじいちゃんの身体は重い病に冒されています。 片時も離れず2人支えあい生きてきたふたりの心中を思うと胸が痛い。 でも、山に帰ったおじいちゃんは言いました。 今年は加齢による体力の衰えから何年も作っていなかった「米を作る」と。
ああどうか、願わくば。
つうか『プラ◯ド』みて泣いてる場合じゃないちゅうねん。みてねえけど。
で、余談になりますがこれを見ながら私は大好きな高村光太郎の詩『案内』を思い出したというわけですた。 いつも最後の1行でダダ泣き。
智恵さん かういうところ 好きでせう
ぶわっ
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