| 2002年12月22日(日) |
3歩進んで師の腹を刺す |
えええっ!? ちょっとまってちょっとまって?
ええと、リュウキ劇場版て時系列的にはTVシリーズ後の話なんですよね? テレスペの「もう一つのリュウキ」ってヤツとは違うんですよね? へびくんしなないよね? でもしなないとしたらへびくんてほんとに人間? どういうしくみでしなないの? あ、でもミラーワールドに逃げたのか? でも帰ってきたばっかりでまたすぐ入れるのかな? で、1ヶ月後(劇場版)にはもうピンピンしてるんだよね?(すぐしぬけど)
やーしかし、今日のリュウキはこれまた盛り沢山でありましたな。
まず、ゴロ北がとんどん切ないモード入ってまいりました。 映画見た時は、北岡のあっけなさすぎる戦線離脱が少々フに落ちなかったのでありますが、 いやあ、納得、納得。 あそこに至るまでにこんな経緯があったれば。 だってこれってもう、普通に(片方が不治の病に犯された)切ない恋人同士のお話ですよ。 北岡は、あの極限の戦いを経て 「自分に残された残り少ない日々をゴロちゃんと共に平穏に過ごす」 という人生の選択に至った訳なのですね。 よかったねえ、ゴロちゃん。 元カノ(めぐみ)にまで心配されちゃうなんて、そうとうな憔悴っぷりだったんだろうねえ。 切ないやねえ。つうか、元カノ公認すか。 ほんとゴロちゃん先生しんじゃったらどうなっちゃうのか。 マジで後追いしかねませんな。
そしてタイガくんの死。 あのシーンを見てワタシがまず何をおもったかというと、 やはりみなさんと同じにタイガーマスク伊達直人の最後シーンではあるのですが、それはまあひとまず置いておくとして。
あの、タイガくんて私の中では基本的に「可哀相なコ」なんですよ。 可哀相てゆっても、不幸で可哀相とかではなくてあくまでアホの子で、て意味なんですけども。 ご存知のようにタイガくんは「情」というものを持ち合わせておりませんでしょ? それってきっと育ってきた環境のせいだとおもうんですよ。 (それに比べ、へびくんの異常性はもう遺伝子レベルのもんだい。もしくは生れつき脳に傷とかあるタイプ。でなければ西園伸二の人格転移体) たぶん小さい時から愛情とか与えられずに育ってきた。 頭の出来だけは人並み以上らしいことを考えると、おそらくガチガチのエリート家庭とかで親子のふれあいとかも皆無でお手伝いとかに事務的に育てられた。みたいな。 だから、愛情とか人を思い遣る気持ちとか、それ自体がなんなのか「知らない」。 「分からない」んじゃなく、それ以前にそういうものの存在を「知らない」のですよ。 少し前に私、あのコは悲しい時は理由や状況はどうあれほんとに悲しくて涙を流すんだよ! とかゆいましたがあれまちがい。 たぶん、こういう場合(先生をころした)は「悲しい」ので「涙を流す」 というふうに、感情を知識でしか表現する事が出来ないのではないかなあ。 そんななので当然友達などができるはずもなく、自分以外の他人と気持ちを交わしあうという経験もなく、精神面ではまったくの幼児のまま大人になり、ただ黙々と目的もなくエリート街道直進して大学進学。 そして香川教授との出会い。
生まれて初めて自分という存在を認めてくれた他人に当然のことながら急速に傾倒してゆくタイガくん。(さとかが発生) しかし、その香川教授てのがまた「英雄論」とか語っちゃうちょっと天然入った人だったからさあたいへん。 ある意味純然たる天然モノ、タイガくんとの相乗効果は量り知れない罠。 尊敬が崇拝へそして狂信へと変わってゆくのにさほど時間はかかりません。 それでも香川教授はタイガくんを教え子としてだけでなく、けっこう大事に思っていたのだろうというのは想像に難くなく。 ほんとうにまじめな人だったんだろうなあ。 「東條君、私は君にもっと多くのことを学んで欲しいんですよ。 君ならきっと素晴らしい英雄になれるでしょう」 この言葉に込められた香川たんの思い・・・切ないですね。 きっと先生はタイガくんのことを息子みたいに思っていたんだよ・・・ なのに、おバカなタイガきゅん・・・。
そんなおバカなタイガきゅんにとって、先生の教えはぜったいです。 「英雄とは時に自らの大事なものを犠牲にする事も厭わない」という先生のお言葉を 「英雄になるには自分の大事な人を殺す」とてっきり勘違いしてしまいました。 まあ、アホの子だからしょうがないんですけどね。哀れですね。 しかし香川教授もまさかこのコがここまでアホの子だとはおもっていなかったとおもわれ。 そのへんさぞ無念だったことでありましょう。
さて、先生の教えにしたがって先生をころしたタイガくんはノリノリで 次の「大事な人」をターゲットロックオン。 そしてころします。 先生の教え通り、 「これでまた一歩英雄に近付いた」 ・・・はずなのに、タイガくんこの後 「先生、次はどうすれば良いんですか」 「先生がいれば教えてくれたのに」 というセリフを繰りかえしつぶやくようになります。(ような気がします) フト心を過る不安感の正体が一体なんなのか?どこから来ているのか? そもそもそれが不安感である事すらわからないタイガくん。 実はそれこそが大事な人を失ってしまった心の喪失感というものなのに。 だけどその意味すらわからないタイガくんはしだいに苛立ち、そしてついにキレます。 わかんないからみんなころしちゃえ!キー!(ガソリンまきながら) ちなみに発火点は北岡の心無い正論なのは明らか。 人をおびき出してガソリンまいて英雄も何もあったもんじゃないですが、 かれはもうひっしなんです。先生に誉められたくてひっしなんです。
さあ、これでボクはまた英雄に一歩近付きましたよ先生!ボクやりますよ!がんばって殺リまくりますよ!だから見てて下さい先生! ・・・でも、次は何をすれば、ボク誰を殺せば良いんですか・・・? そこへ、在りし日の香川教授を彷佛とさせる親子連れ、そして突っ込んでくる暴走トラック。 先生を殺してからずっと、(本人はそれとは気づかぬまま)タイガくんの心の奥底を支配していた「先生(大事な人)を失った」という喪失感・・・。その喪失感を埋めたいと渇望する無意識、 それがとっさに目の前の親子を助ける(先生の代りに)、という行為につながったのではないでしょうか。 だけどそれはつぐない、ていうより自分が救われたかったから。 もう先生を殺したくない。 そして自分がどうすれば良いのかまた教えて欲しい。 先生、ボク間違ってないですよね?誉めてくれますよね?
ううう、切ねえ。
だが、果してタイガくんは自分の英雄的自己犠牲行為(香川教授の教え)の意味を理解し、死んでいったのか? まあ、普通に考えたら けっきょくサッパリ理解していないタイガくんがこれからもまだまだ頑張る(殺しを)気まんまんで 「先生、次は、誰を(殺せば良いのですか?)・・・」 いや、つうか次はオマエの番ダ!どーん。(喪黒) 英雄になれて良かったネ。死んじゃったけどネ。 つう藤子A的結末が有力なわけですが、 ちょっとまって下さいよ? もしかしてこれ、 「先生、次は、誰を(助けたら良いのですか?)・・・」 だとしたら??
うわー。切ねー。 これだと、最後の最後で香川教授の教えはタイガくんに届いたてことになるわけで。 ある意味ひじょうに救いのある結末ですよね? うわー。 うわー。 うわー。 切ねー。
といってもまあ、それまでのタイガくんのハチャメチャな行動とか考えるとそれじゃ甘い気もするし、そうそう簡単に改心するとも思えないので、やはり前者の藤子Aタイプが本命かなァ・・・。
いやマジ、正直そのへんどうなのよ?靖子たん!?(脚本のひと)
やっぱ両方の意味にとれるように書いたってトコかしら?
ふー。
たいへん長くなってしまいましたがまだ続きますよ。
ゆいちゃんについてなんですけど。 シンジくんがとりあえずは「ゆいちゃんを守る為に闘う」という結論に至ったようですが、 ここにきて、どうしてもゆいちゃんのヒロインとしての存在感の薄さに言及しない訳にはいきますまい。 確かに、どうにもならない状況に翻弄される悲劇のヒロインなのではありますが、 ことの始まりからしてぶっちゃけ、おとなしくミラーワールド入っとけ。 という感もあり、まあ、しろう兄ちゃんが何を犠牲にしても妹を助けたい、 という気持ちはわかります。わかりますが、 ただ、シンジくんが「ゆいちゃんを助ける」という動機付けに於いての「ゆいちゃん」というのが 単に記号的役割しか持ってない気がしてしまうのです。 もちろん、誰だって身近な親しい人が危険な目にあえば見殺しにはしないでしょう。 シンジくんの行為はこれ以下でも以上でもない気がしる・・・。 ていうかそうだよね? 漣に至っては「恵理かゆいのどちらかが・・・」とかいう始末。 「ヒーローがヒロインを救う」という方向に向かうにはちょっと無理がある関係性の薄さ。 ホモ描写ばっかり執拗に続けてきた弊害のワリを喰うヒロイン。 たしかにある意味悲劇のヒロインといえましょう。
ひー、書いたーつかレター 日記一月分一気に書いたような心持ちです。
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