Mother (介護日記)
IndexYesterdayTomorrow


2003年03月05日(水) 母の従兄弟との別れ

先ほど市内に住む親戚から、
母の故郷に住む“母の従兄弟のKさん”が亡くなったとの電話があった。

一昨日亡くなり、今夜が御通夜、明日が告別式だそうだ。


しかしそのおば(母の別の従姉妹の子)からは「行かない方が良いだろう」と言われた。


それは、病気の母を私が連れて行くにしても、代わりに私だけが行くにしても、
負担が大きいだろうから、ということだったが、
それよりも、両親を早くに亡くした母は親戚との付き合いが希薄であり、
今回の葬儀にかかわることが逆に先方の迷惑になるだろうということもある。
うちが行けば、あちらも母が万一の場合に行かなくては、と気を使うからだ。

うちが行きたいのは、
母がこれまでお世話になったことに対する感謝とお礼の気持ちであって、
母が万一の時に来ていただこうなどとは考えていないのだが、
世の中、そうもいかないらしい。


母は従姉妹であるが、私はさらにその子供なのであり、
おばは、
「今後は母親の遠縁よりも婚家(レフティー家)との親戚付き合いを大切にすべきだし、
 絹江ちゃんが結婚すれば、また、その相手の親戚との付き合いが始まるのだから、
 どこかで割り切らなくては・・・」と言った。


母は、母親を5歳の時に父親を12歳の時に亡くしてから住むところもなく、
親戚の家を転々としたり、旅館に住み込みで働くなどしていた。

親戚に冷遇されることが多かった中で、
母はこの従兄弟にはいろいろと面倒をみていただいたようで、心から慕い、尊敬していた。

私も何度か会ったが、いつも笑顔で話してくれるおじさんだった。

毎年、年賀状のやり取りだけは続けていた。

今年の年賀状には 『だいぶ弱りました』と書いてあったが、
その後、すぐに入院したことを、市内の親戚からは聞いていた。
従兄弟も母も、ともに高齢であるので、
ぜひともお見舞いに行き、顔合わせをしておきたかったのだが、
この時にも止められて、結局会うことなく亡くなってしまった。


直接会って感謝の気持ちを伝えたかったのだが、それも叶わず、
香典を送ることもあちらの負担になりそうだからとのことで辞めて、
手紙を書くことにした。


両親が早くに亡くなるということが、どれほど寂しいことかは、
母からこれまでに何度も聞かされて来たが、
今回のことは、それを具体的に感じることができたような気がする。

若い頃は、親戚付き合いなど面倒臭そうだと思っていたが、
「親がいるときにはわからない」という母の言葉を思い出す。


 * * * * *


私の場合は父を10歳で亡くしたが、
幸いなことに、その兄弟である叔父叔母家族には大変良くしてもらって、
従姉妹たちとも仲良く付き合うことができて、私は親戚の中において、
なんら肩身の狭い思いなどせずに生きて来ることができた。
それを当たり前のように思っていたが、これは感謝すべきことなのだと、
今頃になってやっとわかった。

父のすぐ下の妹にあたる叔母は親戚の取りまとめ的存在であり、
それをうっとうしく感じてきたが、今、改めて考えてみれば、
この叔母のおかげで私は、父が亡くなって30年が過ぎた今でも、
父方の親戚との交流を持っていられるのである。


IndexYesterdayTomorrow


ALLURE  ☆ MAIL

読んだら、押してね ↓ 

My追加