Mother (介護日記)
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2003年02月19日(水) 実感がない・・・

ネットのお友達の“みい”のおばあちゃんが亡くなった。

田舎のお母さんからの連絡で『明日の朝行こう』と決めた矢先のことだったらしい。

掲示板に早朝書き込みがあった。

「間に合わなかった・・・」

何だかそれを見て涙が出そうになった。
みいのおばあちゃんとは、もちろん会ったこともないし、
これまで詳しい話を聞いたこともなかったのだが・・・

かわいがってくれたおばあちゃんに会えなかったみいの気持ちを思い、
遠くで暮らすかわいい孫にひと目会いたかったであろうおばあちゃんの気持ちを思った。



今日はレフティーが仕事帰りに通夜に寄ったと言って、お茶を持ち帰った。
同僚のお父さんが突然に亡くなったとのことだった。
心の準備もなくある日突然に大黒柱を失うと言うのは、どれほどの衝撃か。



私は、母に対してイライラして優しくできない日が続いている。

「どうして自分からやろうとしないのか」
「どうして毎日言っているのにできないのか」

特に話すようなネタもない。
できるだけかかわらない。

アルバムでも見てれば?
音楽でも聴いてれば?
パズルでもやってれば?

同じ部屋にいて“あげてる”だけで精一杯の時がある。

母を昼寝させる時は補聴器をはずさせて、
母がゆっくり寝てくれるように私はトイレに行くにも足音を忍ばせているのだ。



夕方になって絹江が帰宅する。

絹江は今、受験勉強のため、おやつを食べ終わるとすぐに部屋に引きこもる。
やっと捕まえた話し相手、とばかりに話し込むワケにもいかない。

そんな時、物音に気付いて母が動き出し、激しく咳き込む。

私は絹江の勉強に支障をきたさないように、と母を叱り付ける。
その声の方がよほど絹江にストレスなのかも知れないが、悪循環である。



10時に母を寝かしつける。
ポリデントをして、トイレに行って、パジャマに着替えて・・・
この介助でまたイライラしてしまう。



介護なんてもうイヤだ!
介護がイヤというよりも、病気の親を疎ましく思う自分がイヤだ。

どうして母はまだ・・・生きているのだ・・・

ホントに死んでしまったら、
どれだけ大きな悲しみがやってくるのか今は想像もできないことで、
でもホントに死んでしまったら、
今のこんな気持ちは、絶対に自分を苦しめることになると思うけど・・・

だんだん介護が長くなっていって、
家族の疲労も何もかも、上手くいかないことを母のせいにしたくなったりして、
疎ましく思いながら過ごしていくのが耐え難い。



秋、車椅子であちこち電車に乗り連れて歩いた頃の私は、
母を喜ばせたい気持ちで熱く燃えていたと思う。
今はそれがない。
偽善的・形式的・義務的な介護でしかない。



もし今度入院したら、毎日は面会に行かないかも知れない。
それで母が見当識障害を起こしても仕方ない、と諦め切れるような気もする。
痴呆の進行を食い止めようとアレコレ知恵を絞ってきたにもかかわらず、
日ごと、週ごと、月ごとに、何かのネジが外れていっているようで、
“やってもムダ”と諦めてしまっている。

母には徘徊や過食などの危険がないので、痴呆の進行が怖くないとも言える。
かつての被害妄想による体力的精神的損失を思えば、
会話や行動の減少などたいしたことではない。

赤ちゃんと同じに見えても、
赤ちゃんは日ごとに習得し成長をしていくものだ。
老人は、日ごとに衰退していく・・・


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