Mother (介護日記)
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2002年11月08日(金) 11月7日、入院。

内科検診に行って、そのまま入院することになりました。

詳しくは今夜。

これから荷物を届けに行ってきます。


 * * * * *


多忙に付き、レフティーの日記をごらん下さい。


 * * * * *


以下、すこぶる長いダラダラ日記。


昨日はレフティーが休暇だったので、車で定期検診に連れて行ってもらった。

いつものように内科の待合室は混んでいたし母は車椅子なので、
診察室から少し離れたソファに座っていた。

1時間以上待ってやっと呼ばれて診察室に向かおうと歩き出すと、
途端に母が咳き込み始め、他の患者さんたちの視線を集めた。

母は、中待合に入ってから2番目に呼ばれることになっていたが、
母のセキにカルテの書き込みをしていた主治医がビックリして、
中待合のカーテンを開けて顔を出した。

「先に診た方が良いかな? ん・・・大丈夫そうだな。」
顔色を診て、大丈夫そうだと思ったのか、当初の順番通りに男性が先に呼ばれた。

その間も、母は中待合で咳き込んでいた。
かわいそうだとは思うのだが、いつも検診の時間には大きな発作は起きず、
なかなか現状を診てもらえなかったので、良い機会にはなった。

やがて呼ばれて主治医の診察が始まった。

「ずいぶん咳き込んでるね〜」 いや、これはまだ序の口で。(-_-;)

「いつからこんな?」

「もうずっと前からです」 2週に一度来るたびに、そう言ってるじゃん(-_-;)

パルスオキシメータの数値は87%

「今日は血液検査をしてもらって、その結果が出るまでの間に酸素吸入をしてみましょう」

すぐに処置室に移動。そしてさらにセキ。

みんなの視線に見送られて処置室へ。


簡易ベッドに寝かされて、鼻腔に細いパイプを通して酸素の吸入開始。
左腕から採血。
その様子をカメラに収める余裕のある私。

酸素の吸入を開始してから5分もしないうちに母はすっかり落ち着いて、
何事もなかったような顔をしている。

しばらくして私だけが診察室に呼ばれた。

「やはり酸素不足みたいですね。 今後は自宅酸素にしましょう。
 さっそく手続きをしますが、機材が整うまでに日数がかかるので、
 その間の3,4日、酸素吸入に慣れていただくようにしたいのですが、
 よろしいでしょうか?」

「毎日通うのですか?」

「いえ、入院してもらって。
 今、酸素を入れたらすぐに落ち着いたのですが、
 このまま家に帰っても酸素がない状態だと、また苦しくなってしまうので。」

�堯福陰Α院叩叩法‘�院? 

考えてなかった・・・いや、考えてはいた。
“考えてはいたけど諦めていた”と言うのが正しいだろうか。
どんなに症状を訴えても、毎回同じ答えしか帰って来なかったし・・・

「夜中のセキが続いて『うるさい』と思うようになってしまったけど、
 さすがに最近のセキは“死にそう”な気がして
 『うるさい』なんて言っている場合ではなくなってしまいました。」

「そうでしょう? 今夜・・・ってこともあるわけですから」

はぁ、やっぱ、その危険が。


主治医は木曜日にしかいない。
「僕がいないけど大丈夫かな? その間はT先生に頼んでおくから。」

大丈夫?と聞いたのは、他でもない。
母は主治医K先生の大ファンで、検診に来る度に診察室で愛の告白をしているのだ。

「センセ♪ 好きよ〜 でも、センセの顔を見てたら治っちゃう!
 なんたって、センセは私のカレシなんだから。 ね〜え、センセ♪」

それだから、母にとってはK先生への信頼は絶対なのであって、
“他の先生ではダメだと言いかねない”・・・と主治医は心配をしているのだった。

しかし、入院後のT先生との接触と言っても回診のわずか数分のことであるから、
顔を見慣れない先生であれば、こんなふざけた会話はしないというだけで、
当たり前に静かな診察になると思われる。


主治医が、母に入院について説明をした。
「あのね〜酸素が足りないみたいなんですよ〜だから入院をして・・・」

「酸素? 足りないのぉ? 私、センセーの酸素が欲しい♪」

「え? 僕の酸素? いやぁ、僕は二酸化炭素ばっかりで・・・」

またまた処置室は大爆笑。

他の患者も看護婦も採血しながらゲラゲラと。(危険)

声が大きかったので、廊下のソファで待っている患者さんたちにも聞こえたかも(^_^;)


 * * * * *


血液検査の結果は、今、外出しているT先生が戻り次第説明をするとのことであったが、
さらに1時間待ったところで、レフティーがシビレを切らした。


去年、入院することが決まってから病室に落ち着くまでに5時間待たされたことがあったので、
(その時は私は人目も気にせず、ソファで横になって寝ていた)
自宅に荷物を取りに行きたいと看護婦に申し出たところ、すぐに許可が出た。

おなかの空いたレフティーからすれば「こっちが聞く前に、そっちから言えよ」

待たされている私たちの前を、看護婦らがお弁当とジュースを持って行き来し、
医師らの昼食と思われる出前が通り過ぎて行ったことが、
さらにレフティーを怒らせているのだった。

「自分達ばっかり食って。 もう少し気を使えってんだ。(`ヘ´)」


 * * * * *


車を走らせている途中でレフティーが言った。
「お前、どこがいい?」

? (@_@;)

「飯!」

え? あぁ、ご飯。 あぁ、はいはい。

あれ? 荷物取りに帰るんじゃなかったっけ?

「もう2時だよ? 先に飯だろ?」

あぁ。 私はそれどころじゃないんだけどな。

おなかの空いてるレフティーはコワイ。

そこで、通り道にある海辺の焼肉屋へ。

頭の中でいろんなことを考えていたら、涙が出てきた。

それでいて、とても食べられそうにないと思っていた私も、
結局は丼級の卵スープと、牛タン塩をしっかり食べた。(^^ゞ


 * * * * *


帰宅してすぐに、おなじみの“入院時に必要な物”リストを見ながら準備を始めた。

我ながら、やっぱりこれは役に立つ。

絹江も帰宅したので、一緒に行くことになった。


 * * * * *


母は既に病棟に移動していた。

同室の3名は、意思の疎通や体位の変換が難しいと思われる人たちだった。

良く見れば、隣のナースステーションとは、内側のドアでつながっている。

ナースステーションの向かいだとか、隣だとかには重症の患者が配置されると聞く。

実際、廊下を挟んだ向かいの個室には、危険な状態と思われる患者さんが、
たいそうな機械とチューブでつながていた。


母のベッドの脇には、ポータブルトイレがあった。



早速、荷物を開けて仕分けを始める。

母はまだ洋服のまま寝ていたので、絹江にパジャマへの着替えを頼んだ。

その途中で母が咳き込み始め、続けて2回も紙おむつを取り替えることになり、
さらには、夕飯用のお茶を絹江がひっくり返してしまった。(-_-;)
キレかかっている私を、何事かとさりげなく看護婦がチェックに来た(^_^;)

母を着替えさせ、濡れた床を拭き取り、新しいお茶をもらいに行き、
溜まったゴミを捨て、ポータブルの後始末をし・・・
私の指令によって、レフティーと絹江が動いてくれたのだが、
私だけが汗をかいていたのは何故だろう。


私は看護婦に呼ばれ別室へ。

今回で6度目の入院。 毎回聞かれることは同じ。
本人データや既往症などはすでに2枚にまとめてプリントしてあるので渡せば良いだけ。
それ以外の特記事項について、詳細に説明すれば良い。

私が心配なのは、浅い眠りから覚めたあとで
「ここはどこ?私は誰?」状態になってしまわないだろうか、ということであったが、
看護婦から渡された「ご家族の方へ」という紙には、
「もしもの時は、手足を縛ります」と書いてあった。

息切れがして歩けないので、徘徊の心配はないと思う。
大声を出して騒ぐようなことも、今までに一度もないし・・・
が、しかし、環境の変化に適応できないお年寄りは、
危険なところに限ってパワーを発揮するらしいので注意が必要。

念のため、母にはいつものように状況を紙に書いてテレビの画面に貼っておいた。

 “ここは、○○病院 内科 ○階 ○号室 です。

  担当は K先生 と T先生です。

  セキが出て息が苦しくなることが多いので、
  これからは、自宅でも、酸素吸入をすることになりました。
  機械を取り寄せるまでの3,4日間は、
  入院をして病院の酸素の機械を借りることになりました。

  ママは、できるだけ毎日、病院に来ますが、
  朝は、お洗濯があるので、お昼頃になると思います。

  どうしても、連絡を取りたい時には、
  看護婦さんにお願いをして、家に電話をしてもらってください。
  ( 看護婦さんも忙しいので、本当に急ぎの時だけ、ね )”


 * * * * *


もう夕飯を作る気力もなくて(いつもだけど、今日は口実があるし)またまた外食。

お店のスタッフに家族3人の写真を撮ってもらったが、これがかなりいい感じになった。


 * * * * *


8時過ぎに帰宅。

私はそれからまた、あれこれと資料の見直し。

結局、就寝は深夜3時。




     ↑ ここまでは、7日の日記(まぎらわしい)




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



      ↓ ここから書くのが、8日のこと(まだある?)



今日は午前中に用事があった。

買い物中にケータイが鳴り、病院からとあって何事かと思った。

「退院の日は、先生から聞いていらっしゃいますか?」 

はぁ? ちょっと拍子抜けしてしまった。 

そんなこと、ケータイにかけるほど急ぎかぁ?

「退院する時に業者が在宅酸素を自宅まで運びますので、時間を決めたいのですが」

あぁ、そういうこと。 何時でもいいんだけどね。
それじゃ、月曜の2時ってことで。

「それでは、退院が2時。
 その前に来ていただいて、先生のお話を聞いていただくということでよろしいでしょうか?」

はい、わかりました。

ところで、母の様子はどんなでしょうか?

「現状がわかっていらっしゃらないみたいですね」

�堯福陰Α院叩叩砲─�
午後から参りますので、それまでよろしくお願いいたします。


 * * * * *


パジャマを買って病院に着いたのは、3時だった。

私を見るなり母は「あ〜♪ ありゅちゃん、来た来たぁ♪」と言った。

看護婦さんが、
「『ありゅちゃんがいないと寂しくて死にそうだ』って言ってました」と笑った。

そう? そうだろうと思って、今日は写真を持って来たんだぁ。
ほらぁ、大きいからいいでしょう?

「あらぁ、親の考えてることがわかるのね(笑)」 ← 看護婦

さっそく昨夜撮った3人の写真(A4)を、テレビの画面に貼った。

貼ってあった状況メモは、側面に移動。
これは結構役に立ったらしい。
母が私のことを言うたびに看護婦は、
「はいはい、ここに書いてあるからね。
 娘さん、午後から必ず来るってからね」 となだめていたのだと言う。

「あ〜、これは良く撮れてる。いいや、こりゃぁ。これなら寂しくないや〜」

「今度は“声が聞きたい”なんて言ったりしてね」 ← 看護婦

それなら、声を録音してきましょうか?(笑)


 * * * * *


まだ陽が暖かだったので、看護婦さんに院内のお散歩をしたいと申し出ると、
すぐに酸素ボンベを積んだ車椅子を用意してくれた。
上着を着せて酸素の管を付け替える。

屋上に上がるのは、今回が初めてだ。
食堂の反対側に扉があって、風もないようなので外へ出た。

さすがは山の中腹(謎) 素晴らしい眺め。

母も大喜び。

写真を撮るには、これまた良いお天気。
青い空、白い雲。 のんびりと飛ぶカラス。
遠くの山並み、街の建物。
夕陽がまぶしい中で、何枚か激写。

その後、ひときわ大きく目立つ白い建物に興味を示し、
「あ、あれは何? マンション?」

さぁ、なんでしょうねぇ。 ホテルかなぁ?

しばらく270度近くのロケーションを眺めてから再び、「あ、あれは何?」

(-_-;) だからねぇ。 ホテルか、マンションか。

このやり取りを何度か繰り返す。

10分ほどで屋上をあとにする。

エレベータで内科病棟に降り、ドアが開いたところで、母の一言。
「あら、ここは病院みたいだねぇ」

え。 �堯福陰Α院叩叩法”賊,世辰討�(^_^;)

「え? 私、入院してるのぉ?」

そうですよ。

「私、今日、ここにお泊りするの?」

お泊りって・・・ 普通はそういう言い方はしないと思うんだけど。
なんだか、随分とトンチンカンになってるな(^_^;)

看護婦は昨日「去年入院したことも覚えていないみたいです」と言っていた。

それから

「私はいつ退院できるの? いつまでもこんなところにいたくないよ〜」と言い、
何度、説明しても同じことを聞くので、結局また書くことに。

   “ 退院は11日月曜日。 あと3泊。”

これを、先ほどの家族写真(ありゅ・レフティー・絹江)の隅に貼り付ける。

もちろん、2・1・0の分も作っておいた。 明日、差し替えをすれば良い。


 * * * * *


今回は、2つのサイコロ(介護のページ参照)を持って来ているので、
いつものように足し算をやらせてみた。

一度だけ、3+6=8 と書いたが、他は全問正解。
全部で50ぐらいはやったと思う。


夕飯の後の入れ歯やお手拭の洗浄、お茶の入れ替えなどをしてから、
明日の約束をして、6時半過ぎに病室を出た。

タクシーと電車を乗り継いで、コンビニで甘いものを買って帰宅すると、
すでに7時半を回っていた。


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