なんだ、コンチェルドって? まぁタイトルも<響きの>に続くものを響きのみに視点を定めて決めてしまいました。 でもコンチェルドっていう外来語ありそうだな。 なんか音楽用語でありそう。
コンチェルド:�〇愆�者の様子。「―をよく見てみろ、お前は随分と遅れているぞ。」�∋愆�者の指示。「お前は―が聞けないのか?そんな奴はこの楽団にはいらん!」��指揮者の機嫌。「今日さ、―が悪いから楽譜の流れで気になるところがあるけどまた今度聞くわ。」�せ愆�者いらずの状態。(ジョーク)つまりそれだけ楽団の演奏が素晴らしいということ。誉め言葉。「はっはっは、今日はコンチェルドな日和だね。(指揮者談)�セ愆�者の仮名。指揮者以外の楽団員が指揮者の悪口を言う時にこれを使う。「―ってさ、むかつくよね。さっさと引退すればいいのに。」��指揮者無視。指揮者への反発を表す。これを唱える事により、(無視しよう)という意識さえも思い浮かべなくなり、本当に無視することができる。一種の呪文。�Щ愆�者、ついに辞める。「あいつがついに―!!」
話は変わる。 急な言い分だが、滅法、という言葉が最近気になっている。 何でこの言葉に引っかかったかというと、それはある小説にまつわる話になる。 それは「熊を放つ」というその題名だけでやられてしまいそうな小説があるのだが、それをカート・ボォネガット・ジュニアという作家がこう称していたのである。
滅法面白い
こんな言葉は今では、少なくとも僕ら世代の間では使われていないと思う。 下手すりゃ「あの映画、チョベリグー」などと言いかねないくらいである。 でもこれはさすがに死語となりつつあるだろう。 まぁそれはどうでもいい。 要は「あの映画は滅法面白いよ。」などと友達にでも言っている奴がどれだけいるかっていうことだ。 聞き慣れない言葉な分、僕がじゃんじゃん使ってやろうっていう気になる。 ちなみに<じゃんじゃん>というのはビートたけしが雑誌で使っていたものである。 第一に、<滅法>って言いやすい言葉であるような気がする。
辞書で<滅法>を調べた。 並々ではない、度が外れている、法外な、というような意味らしいが、元々は仏教で一切の諸法をなくす意で使われていたらしい。 ということはある意味危険な言葉であるな、と思う。 一切の諸法を・・・ つまり、ありえない面白さだ、と言っているようなものなのか? だってありえない事でしょ、<滅法>だなんて。
でも永遠とか悟り、自由などといった、現世界には存在しないような、そう言った部分には魅力を感じる。 何かをおおげさに自分が誉めちぎりたい場合には実に効果的な言葉である。 しかし、ほんとうの滅法面白い状況というのは、それは法に縛られない状況が楽しいのでなく、法を破る事自体が楽しいのであろう。 つまり、地球上でこんなに大勢の人間が詰め込まれ、さらにそれらは重力というもので固定されているからこそそういう発想が生まれてくるのであろう。 何も宇宙空間で一人プカプカと浮かんでいるだけならば、何が面白いのかもわからないのだろうということを思うと、僕らは恵まれているのだと痛感する。 しかし、もし人類の一人一人が全くバラバラに宇宙に放り出されたとすると、それはそれで個々になんとか面白い事をしようと思うのだろうか? 厳密に言えば<しよう>というか、結果、感じる事ができればなんとか生き延びるだろう。 我々がもし一人きりで宇宙空間へ行ったなら、果たして何を思うのだろう? 形なんかもきっと変わるのだろう。 きっと脳は肥大するだろう。 それに伴うメリット、デメリットも出てくるだろう。 一体、宇宙にはどんな可能性が待っているのだろうか?
ここまでつらつらと書いてみて思ったが、<滅法>という言葉にはどこか破壊的なニュアンスが含まれているような気がする。 そして、どこか無謀な感じもする。 さらに滑稽で、危なっかしくあり、それでいて魅力的な面がある。 きっと、「熊を放つ」という小説もそんな小説なのだろう、という気がした。 きっとその物語の登場人物はそんな雰囲気も持っているのだろうと。
―END―
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