「イタリア語の発音 は、<ペッチョリーノペッチョリーノ>な感じ♪」
�,泙燭泙榛F�も友達にビデオを借りた。 それは「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画だった。 時は午後の三時頃、途中で眠くならないようにコーヒーを飲みながら見始めた。 主人公はやたらと喋る男だった。 その男は周りの人たちを自分のペースに巻き込むのが得意なタイプだった。 そして話が進むにつれ、彼を取り巻く環境にはやがて戦争の陰がさしてきた。
�⊆膺邑�の彼、名前を忘れてしまったので仮に<チャビン>とするが、チャビンにはいつも根拠の無い力が沸いていたような気がする。 そう、根拠のない力・・・ それは彼の表向きの力。 表向きだからといってそれが偽りであるという訳ではなく、あくまでも自分から好んで被っているかのようなその仮面には、特に彼の息子にとっては好影響を与えている。 そこで僕は思った。 現在二十歳の僕はあと60年くらい生きるんだろう、何事も大きな出来事がなければ。 それならその残りの時間くらい、勘違いしたまま、何か根拠の無い力に取り付かれたまま死んでいってもいいのではないか?と。 そう思ったのだ。 別に偽りの人生を歩むんだ!と言ってる訳ではない。 好んでそうしたいと言ってるのである。 別に嘘をつくわけじゃない。 嘘の中に溺れたいんではない。 ある意味嘘をコントロールするというか・・・ でも、それは一般的に言う意味での<嘘>ではない。 嘘つき!と他人に叫ばれる類のことではない。 この辺の事は説明が少しばかりしにくい。
��根拠の無い力・・・根拠の無い自信・・・そういったものってのは、その実体が分かっていたとしても絶大なものであると思う。 そんな根拠の無いものなんかあったって、空回りするだけじゃないか! そうも思える。 しかし、映画の中の、空想に過ぎないとしてもチャビンの持っていた<根拠の無い力>は目に見えるように力を発揮していたではないか? 「ライフ・・・」という物語の中で起っていたことは、映画の中の世界でだけ成立していた事とは言い切れない。 本当の意味でも本当であったから、あの映画は評価を得ているのではないか? あの映画が傑作かどうかなんてことはどうでもいいが、ああいった底が知れているからこそ、そこに水をあえて継ぎ足したチャビンは面白い奴なのである。 知っているからこそ・・・ 現実を知っているからこそ・・・ 奴は地に水を注ぎ泳いでいたのだ。 地と水面は、水で繋がっている。 だから水面で泳ぐのもまた現実的なことである。 底を知っていてこそ水面を泳ぐこの主人公に拍手、と言った所だろうか?
�に佑�上で言ってる事は、作品を見ていてこそ分かるかもしれない?ことだ。 簡単に言うと、主人公のチャビンのような力を持った人の事は、誰だって気になるし、興味をそそられるってことだ。
<地を歩いていたチャビンは、ある時そこら中に水を注ぎ、周りのみんなをも巻き込んで水面に浮かび、泳ぎ出した。周りのみんなも初めは足をバタバタさせながら浮かび、チャビンは一人スイスイと泳ぎ始めた・・・>
映画ってのは一種のエネルギーなんだろう。 物語と言う名の。 万が一この日記を見ていて、興味が湧いた人は、この映画を借りて見てみてくださいよ。 では。
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