日々是修行也
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登場する人物・団体・店名等はすべて架空のもので、仮に存在していたとしても単なる偶然です。 また、暴力・犯罪・性的描写も個人の思い込みによる勝手な想像です。

1995年08月17日(木) 「コンプレックス」

「コンプレックス」という言葉を有名にしたユングによると、「コンプレックスとは、何らかの感情によって統合されている心的内容の集まりであり、”ある事柄と本来無関係な感情とが結合された状態”の事、つまり、【心的複合体】を指す。

戦後の日本に入ってきた、アルフレッド・アドラーの「人格心理学」理論は、「劣等複合(inferiority complex)」を中心にしている。

人は、劣等複合を克服する事で人格形成が確立するとしたアドラーの理論は、日本人に受け入れやすい内容で、戦後の日本ではアドラーの理論である、「劣等複合」という概念が一般的に定着。


そのため、日本で「コンプレックス」と言うと、「劣等感」と同じ様に使われていて、暗黙の了解として「劣等コンプレックス」の事を指す傾向がある。


「劣等感」も「コンプレックス」も、最初は心理学者や精神科医の専門用語だったが、専門家でない人が引用したり、日常の会話で使ったりしているうちに、ごちゃごちゃになってしまったとされている。

ごちゃごちゃになった「劣等感」や「コンプレックス」の意味をいちいち説明すると大変な作業になるため、専門家たちもあいまいなまま使い続けているのが現状。


劣等感について解り易い説明を引用すると・・・

精神医学者 カレン・ホーナイ(女性)は、「劣等感」を「所属感の欠如」という言葉で説明している。

例えば、両親と姉・妹(自分)の4人家族で、次女である自分以外の全員が”スポーツが得意”だとする。唯一、次女の自分だけが運動音痴で身体能力がとても低い。 こんな場合、自分は家族の一員ではないと疎外感を感じてしまう。  自分自身が疎外感を感じるだけならまだしも、両親や姉からも”貴女は仲間はずれ”という扱いを受け続けると・・・ 「所属感の欠如」となり「孤独であることへの恐怖」に繋がる。

この場合は「スポーツ」に対して感じる、”悲しみ”、”つらさ”、”怒り”、”自己嫌悪”の複合体が「劣等感」となる。


もう一例・・・

小学校でクラスの他の全員が解ける算数の問題を自分ひとりだけが解けなかった場合、とても悲しくつらい思いを味わう。 所謂「取り残された感・・・」  この時に感じる悲しみや辛ささが「劣等感」


ただし、「所属感の欠如」だけですべての「劣等感」が説明できる訳ではない。

例えば「学歴に対する劣等感」についても、

自分以外の家族全員が大卒以上の学歴を持っていて、自分だけが高卒だったとしたら、「所属感の欠如」で「劣等感」の説明ができる。 また、自分が勤めている会社のなかで、ほかの全員が自分より高学歴だったとしたら、やはり「所属感の欠如」で、説明できる。


「学歴に対する劣等感」は、多くの人が持っていると思うけど、「劣等感」の背後には「学歴」とは関係ない、「心理的なメカニズム」が働いている。


要するに、現在の生活に対する不満や不平を、「もっといい学歴があればもっといい生活ができたのに」とすべてを「学歴」のせいにして、神経症的な不安から逃れようとしているケース。

しかし、コレは少し考えれば正しくない事に気付く。

なぜなら、大した学歴を持っていなくても社会で活躍している人は沢山いるし、高学歴を持っていても大した生活が出来ていない人も大勢いるからだ。


【私は人から愛される価値の無い人間だ】 とか 【私の様な人間が幸せになれるはずがない】


といった「自己嫌悪」や「自己否定」の感情を深層心理として抱えている可能性が高い。


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弥勒(みろく) [MAIL]

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