2005年03月10日(木) なにがどこまでそうなのか
春なのでオチもなく井ノ本がふらりふらりとやってきましたよ。と。 日付埋めなきゃいけないからね! 意地でも日付は埋めるからね!
このような阿呆なブログをよろりよろりと書きつつも思うのが、 文章ってほんとにその人となりが出るなあ、ということで。 なんていうか、その人が何を気にしているか、とか、何に重きを置いているか、とかで、 なんとなーくですがその人のことが見えてきてしまう、というか。 属性じゃなくて、その人自身のことが。
たとえば「ラスト・サムライ」という映画をこないだ見ましたが、 わたしがあの映画をひとことでまとめると 「おぼつかない手つきでハシを使いぎこちなく村人とふれあうトム・クルーズが見られる映画」 になるし、 「トロイ」も見たのですが、ひとことでまとめると 「ブラッド・ピットがふとももをまるだしにしている映画」 なのです。 いやあのーあほだとかばかだとかマッチョだとかそういうツッコみはありがとうございますなのですが えーとあの情報の中からなにを選んで記憶するかってことですね そこで人それぞれ違ってきてしまうわけです 買ったものの話をするにしても 「おかしなデザインのカットソー」 なのか 「レッド・ヴァレンチノのカットソー」 なのかで全然違ってきますよね なんで買ったのかという話をするにしても 「俺のブルー・スエード・シューズに触るな!と言いたいから買った」 なのか 「流行色だから買った」 なのかで全然違うわけですよね まあなんていうかそういうことです モノの見方は文章を書いて人目にさらした段階で丸裸なわけです
ここまではまあふつうの話ですが えーと最近ああ、と思ったのが そうはいっても読む側のリテラシーにもそれは大いに左右されるのだなあと
こないだちと不思議に感じたのはブログとかweb日記に書かないことだってあるよ、ということがわかんない人もいるんだなあということで 全部書くってことのほうがわたしにはむしろ驚きなのですが なんていったらいいんだろううーん 書いた事実の断片から全体を類推してそういうものだと思い込む人もいるんだね、ということです それは井ノ本として遭遇したことではないのですが なんというか書く側の思いこみとか演出とかと読み手側の類推とか曲解とかの組み合わせでひとつの言葉ひとつの文章もえらい意味合いが変わってくるんだなーと そういう場合どういう言葉がもっともうまく伝わらなくてうまく伝わるんでしょうね たぶんシンプルな言葉であればあるほどいいんだろうな、と思ってたけどちょっとわかんなくなってきた わたしがヒョードル様ラブ!と言ってるのも褒め殺しに見えたりするひともいるんだろうか メレンゲラブ!と言ってるのも以下略
まあそれでも思ったことはできるだけ素直に書けばいいのかなと思います でもって素直に読めばいいのかなと思います なんか行間を読もうとすると疲れます 言葉尻を追うと疲れます 小学生レベルでいいやと思います 好きは好き嫌いは嫌いでいいんじゃないかと思います
とりあえず今日言いたいことはモロゾフのさくらんぼプリンはそんなにおいしくなかったよ、ということです
残業のおともにとウキウキでとっておいたのに微妙な味だったから悲しくて悲しくてもう |
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