Final stage
 火葬

2008年07月30日(水)

(数日間、日記を入れてなかったのでこれから少しずつ思い出しながら入れる予定です。)

あとは四十九日法要の時だけで親にしてあげられることが
ようやく終わった。
「ようやく」という言葉を使うとそんなに嫌だったのか、とか思われそうだけど
私はそういう意味で使う言葉ではないよ。

あ、もうママにやってあげることなくなっちゃったのかぁって寂しい気分。
親にしてあげる事が私の支えで一生懸命、頑張れることであったから。


今日は火葬の日だった。
親の死の次に恐い日だった。もう二度と
温かくて私を守っていてくれた手も顔も何もかも
目に見えなくなってしまうから。

中学時代からの友達のMが昨日から式場に泊りがけで来てくれてた。
自分の方の親戚の人たち(姉の旦那、妹の旦那、兄のお嫁さんと私)4人で
午前4時まで話してビールを5,6杯飲み、朝は8時に式場のおじさんに
半ば強制的に「起きてください」と起こされたw
布団を片付けて最後のお別れの準備をしなければならなかったから。

会場と親族控え室は戸が一枚の隣同士で同じだった。
控え室で友達と朝ごはんを食べて喪服に着替えて担当の人に言われ、
挨拶する文章を書いてた。


私は母の喪主をつとめた。
家は福祉を受けているので式だけ、全て福祉のお金だけで。
祭壇の花は自費、自分たちの食事とかは親戚や妹たちが近くのコンビニで買ったり。
もらったお香典のお金は、これからの四十九日や一周忌に使うために貯金。


式が始まり、お寺さんのお経を終えた後に棺の蓋を開けて
ママの棺の中にみんなが花を入れていった。
私は10円玉を10枚入れた(つまり100円ねw)

おじいちゃんの火葬のとき10円玉が
いくつか溶けてしまったのを私は記憶に残ってたので
いっぱい入れることにした。

私は棺の蓋に釘を刺すかどうかで釘を刺すのは担当の人に断った。
釘にそんなに意味は特にないだろうと思っていたし。
釘を刺すと開けられないから寂しさも増すと思ったし(私だけかもしれないが)。
棺の親の顔を見るところにプラスチックのシートがあって
顔も触れないと思うと釘だけはやめてほしかった(これも私だけかもしれない)。

最後に出棺前の挨拶で親戚や知らない親戚の人の前で
親の先頭のところに立って、喪主としてママの葬儀に来てくれた人たちに
親はこういう人だった、とか挨拶と感謝の気持ちを話した。
涙は出なかった。緊張もしなかった。悲しみはなかった。全然普通だった。




それから出棺の時、妹と二人でママの乗る車に乗った。
そのまま市内の火葬場に向かった。思っていたより近かった。
きれいな所だった。ママが生きていたら喜び?そうな。

真っ直ぐ棺は運ばれて、みんなでお線香みたいな粉?のやつで最後の祈りを。
火葬する入り口の前で一旦止まり、会場の男の人に「最後の挨拶をしますか?」と聞かれた。
私はこれが本当に最後なんだなぁと思ったので頷いてお願いして棺を少し開けてもらい、
ママの冷たくなった顔をずっと撫でた。声もかけず何も考え事も思ったりもなく無心に。
「それでは」と言われて棺を閉め、「いいですか」と言われて頷く。

頷くと会場の人がボタンを押した。扉が閉まった。
ママの遺体が入った棺が見えなくなった。
おそらくあのまま、遺体を火葬するであろうボタンを。
それから私は少し落ち着かなかった。

発作的にあの扉を開けにいこうかと一瞬思ったり
眠気に襲われたり、頭が痛くなったり。


仲良しの親戚の札幌のおばちゃんが険悪な中の親の妹たちの中に居て
自分と席を替わらなければとすぐに思った。

じゃないとまたおばちゃんが他の親戚に嫌味や悪口を言われて
傷つくのを想像ついたから。ママが私にそうするようにさせたのかもしれない。
おばちゃんを呼んで席を替わったら「ありがとう」と言われた。
(実は後で家で泣いて感謝されるほどだった。)

まあ嫌な親戚っていってもママの妹や弟のお嫁さんなんだけど。
ママには失礼なことはあまりしなかったけど、おばちゃんには大人気ないことばかり
されてるのを前からずっとママに聞かされてた。
私はその親戚とは別にトラブルも問題もないので普通にしゃべったりしてた。

でも眠くてお昼ご飯なんて一口も食べられなくてロビーみたいな所の椅子に座って
1時間ほど寝ておばちゃんに起こしてもらった。
あの扉のボタンを押されてから2時間が過ぎた(大体2時間かかるらしい)。

「終わりました。納骨を始めるのでこちらへどうぞ」と案内された。
ママがどんな姿になってるか想像がついた。もう”ガイコツ”だ・・・w
と、思ってたらちょっと違った。骨は骨でも、相当骨粗しょう症がひどかったのか
骨がもろくなってて頭蓋骨も割れていたり顔があやふやな状態だった。
目がどこにあったのかも判断しにくい状態。


え、これがママなの?が本音だった。
さっき見たときのママの顔や体とは桁外れで。

先に入れてた10円玉と、喉仏は取られてた。
喪主の私から先に、骨を妹からもらって瓶?に入れた。

分骨することを告げてから自分たち(私と妹のみ)で
欲しい分だけ骨を拾っていった。
妹は既に納骨用の瓶を購入していたのでそこへ入れてたけど、
私はそれとは違うものを予約して数日だったため、まだ届いていなかったので、
仕方なく紙をもらって包んでビニール袋に入れて大切に持った。
納骨にも順番があるのか足から胸、頭の順番だった。

私は最初から最後まで誰にも箸を渡さずにひたすら骨を拾ってた。
まあ箸は数本あったので親戚たちがそれぞれ納めてたけど。
あとは担当の人が残った骨がないかを確認しながら拾っていく感じ。

一通り終わると、瓶に蓋をして納骨の包みに包んでもらった。
納骨なんて私の人生の中で2度目。最初の一度目は私のおじいちゃんだった。
まさか二度目が自分の母親になるとは思ってもいなかったけど。



全部終わったら案内されて外へ出た(喪主なので一番前)。
気持ちのいい風が吹いてた。「外、気持ち良いね」とママに声をかけた。
ママのお骨と法名のやつは私が持っていた。遺影は妹が。

帰りは親戚の車に乗って、さっきまでいたお葬式の会場に戻った。
戻って再び、お寺さんにお経を読んでもらった。


それでお葬式は全て終わりだった。
帰りの荷物が多くて多くて重かったけど
(入院付き添いの荷物があったから)代わりに持ってもらって車で
私は親のお骨をと法名と荷物を少し持って家に帰った。


「ママ、やっと家に帰れたね」って言いながら。
家に帰りたいってずっと言ってたからようやく家にママが帰れた。
本当はこんな形でママが家に帰ってくるなんてつらかった。
自宅が4階だったから遺体を自宅には返せなかったんだ。

葬儀屋さんの担当の人がお花やら持ってきてくれて
祭壇を作ってくれた。そこにお骨と法名と、ロウソク、ごはん、水とか
いろいろお供えして一段落ついたところで葬儀屋さんは帰った。
その前にいろんな自費での高額の支払いがあったのが痛かったけど。


それからは、お隣の家の人が訪ねてきた。
まあ家の玄関開けっ放しにしてたしみんな喪服姿だったから
親が亡くなったことを悟ったようで。
でもママと凄く親しくしてくれてた隣人さんだったのでお線香あげてくれて。
涙まで流してくれて。親との思い出話を話したり入院中のことを話したり。



その間にお姉ちゃんたちは風のように私の前から去って行った。
ママの生前のうちに口裏を合わせていたのだろう。姪っ子ふたりも姉の旦那も、
私にも誰にも何も言わず、風のように私の前から去って行った。


叔母に「あれがお姉ちゃん?」と言われ、恥ずかしくなり悲しくなった。

私は自分の姉たちの化けの皮が剥がれる瞬間をこの目で見た。
私の人生で、忘れることなどできないだろう。姉ではなく他人なのだと実感した。


私が飛び降り未遂をしなければ生活保護など受けなかった。
ママは生活保護のお金でガン治療ができ、
ギリギリまで沢山の高額な新薬などで毎月100万、200万の
医療費の領収書をもらい生かしてもらえることができていたが私の姉は、
そんな私に「生活保護なんて恥ずかしい」「障害者なんて恥ずかしい」と。


ならば、あんた、自分の母親の高額な医療費、入院費を払えたのか?
自分が払う気もないくせに生活保護制度でママが生かされてきた恩を馬鹿にするなら、
自分の母親にママに掛かってきた医療費の全てを市に返せ。
出来もしないくせに簡単に情けないなどと二度と私には言ってくんな。



ひとりひとり帰っていって。
でも親戚のおばちゃんが心配してきてくれて一緒に外食に行った。
ママがもういないなんて信じられないね、なんて話しながら。


夜の20時にお店でおばちゃんと別れて、
私はタクシーに乗ってちょっと遠い交番に行ってきた。
実は、親の入院付き添いの間に自転車が地元駅で盗まれてしまって
その自転車がなんと!地元から離れた千歳で見つかったと
千歳警察署から手紙が来てて。

それで自分で千歳から地元に帰る道も分からないので
お願いして頼んで、その地元の交番に私の自転車を届けてもらったのだ。
確認したけどパンクしてなくて、ただ鍵が外されただけの状態だった。
その手続きを済ませてから、今度は軽く食料とかの買い物をしに。


真っ暗な家に帰ってママの遺影に「ただいまー」って言っても
遺影は笑顔なのに返事が返ってこないのが無性に悲しくなってきて親の寝ていた
ベッドに泣き崩れてしまった。悲しくて悔しくてつらくて苦しくて。
でももう何をしたってママともう話せないし会えない。
今までのママが自分の心の中にいるだけでしか会えない。

出棺の時や火葬の最後のお別れの時は涙が不思議と出なかった。
だからこんなに今になって心の中に溢れてた気持ちが
出てきたんだろうなって今になって思った。自分でも思ってもみなかった気持ちが溢れて。

こんなに悲しいとか寂しいとか会いたいとか話したいとか思って泣いてたら
ママの方がもっと悔しくて寂しくて悲しくてこんな結果になって私に寂しいを思いさせて
ママが一番つらくて泣いてるかもしれないって考え直して。

でも妹に、お前やお姉ちゃんたちは戻る家や家庭があるけど私には
ママがいなくなった家に、戻るところがないとか愚痴をメールで言ってしまった。
妹は親の生前まではこれについて理解はあまりしてくれなかった。
「仕方ないっしょ」とかそれくらい。でもこの時は「そうだね」と初めて
私の気持ちに理解を示してくれた。

しばらくして落ち着くと、今度はママが入院してた時の荷物が
山のようにあるのでそれを片付けてた。

片付けても片付けても・・・なので一旦やめて明日やることにした。
これからまだやることがいっぱい?ある。
いろんな名義が親の名前になってるのを私の名前に変えなきゃいけないのと。
でも生前に名義変更してたものはいくつかあるのでいっぱいでもなく少しのことだけど。

私が親にしてあげることが全て終わってしまった。
あとは私がどう生きていくか、なんだよね。でもきっと私が
嬉しかったり幸せな気持ちになればママも私のそばで同じ気持ちを共有できるかもとか
勝手に思ったりしてて、そうなりたいと思ってる。
でも現実は、なかなか。やりたいことも見つからない現実。

親がこの世界からいなくなって初めて
自分のこれからの人生を考える時がきたのかもしれない。
けどどうすれば・・・。
By ゆゆ
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