ヤグネットの毎日
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2006年11月06日(月) ちひろ美術館と「無言館」を訪ねる小さな旅

11月に入っての連休で、長野で「いわさきちひろ美術館」と「無言館」を見る、小さな旅にいってきた。

 ちひろ美術館では、あの淡いタッチの絵、具体よりも抽象へとすすんでいくちひろの芸術観の根底に、日本古来の芸術論である「世阿弥」が影響を与えていることを知ったのは、新鮮な発見だった。
 また、ちひろが長男・猛を産んで直後、仕事のために信州と東京を行ったりきたりせざるを得なかった時期、「お乳が絶えないように」と東京で、お乳をあげていた子どもが、タレントの三宅裕司さんだったというお話も、はじめて聞くことで感動した。

 世阿弥の「風姿花伝」を愛読していたといういわさきちひろは、「秘すれば花なり 秘せずは花なるべからず」という一文に影響をうけている。
「ちひろはその言葉を自らの絵本の中で表現するため、"絵で展開する絵本"の制作に取りかかります。自らの絵本のイメージに近づけるため、時に百点以上もの絵を描きました。絵から建物がなくなり、地面がなくなり、空がなくなる。何度も何度も描き、そぎ落とされていった絵。そこに生まれたものは余白、添えられたのは必要最低限の言葉。しかし、足りないものは何一つない。見る者の想像をかき立て、その絵の世界で遊ばせてくれる。それがいわさきちひろの世界。」(テレビ東京・いわさきちひろ「虹色の奇跡〜線と色が紡ぐもの」より引用。)

http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/050402.htm

 いわさきちひろ美術館では、裕福な家庭に育ったちひろが、芸術を通して、自分の生い立ちとこれからの人生を考え、社会的、思想的に目覚めていく姿を目の当たりにして、葛藤しながらも前のめりに生きる姿の美しさ、のようなものに触れることができた。

 「世界中のすべての親子の幸せを」…大げさかもしれないが、そんな感情がムクムクとわきあがってきた。

 美術館を出て、その景色を楽しんでいたら、大きな木の下で、食事をとる母子の姿が目に入った。伸び行く若木、その下で娘をみる母親の姿は、背筋がぴんとのびていて、みているこちらが、あたたかくてやわらかい気持ちになった。
 向こうの山々の稜線も美しかったな。


 「無言館」の扉は、静かに重くひらいて、僕を招き入れる。
 あの侵略戦争で、絵を描き続けたいという思いを断ち切られた若者たちの遺作が展示されている「無言館」。
 大好きな絵を描き続けたいという思いを無残に奪い去る戦争が許せないのは、いうまでもない。だが、どの作品も直接、「戦争反対」「平和を守れ」を訴えているのではない。
 
 裸婦像などは、とても艶かしく官能的でさえあり、一つ一つの絵が、生き生きと飛び出してくるような勢いをもちあわせている。

 それなのに、戦争への憎しみがわき、平和の大切さをかみしめたくなり、涙がとまらないのはなぜだろう?
 きっとそこには、「生き続けること、自分が一生をかけて情熱を傾けることができるもの」に一心不乱に、それこそ命をかけて取り組む真剣さが、ストレートに伝わってくるからだし、それが大きな渦のなかで、権力によって断ち切られてしまった、その理不尽への怒りがあるからだろう。
 そして、彼らの生物としての命は、無くなってしまったけれども、「絵画」という作品を通じて、彼らの「生命が」生き続け、「絵を描くことはすばらしい。人間も大地も空も、生きとしけるものはみなすばらしい」というメッセージとして、いまに生きるものに、訴えている、その迫力に感動するのだ。

 窪島誠一郎館主は、「無言館にいらっしゃい」(ちくまプリマー新書)がすばらしい。帰りに美術館の出口で買い求め、車のなかで一気に読んだ。


 
 人間には、命が二つある。一つは、自分が生きるための命。そしてもう一つは、「生命」。それは、自分のためではなく、誰かの幸せのために役立つもの。たとえば、こういういことが、子どもたちでもわかるような、平易で味わい深いことばで綴られている。超おすすめだ。

 「無言館」は、人間が生きることの意味を深く、静かに教えてくれているように思う。そして、自分を映し出す鏡のようである。
 
 本当に、自分らしく生きているか?自分が一心不乱に打ち込んで、それが今と未来に生きる人たちに、なんらかの「思い」を伝える生命を産むものをみつけられているか?
 愛する人を、深くおもえているか?
 
 信州の山々に、問いかければそのままもどってくる「こだま」のように、何度もなんども心のなかに響いてくる。

 いまの僕の仕事、そして音楽を愛するということ。静かに、でも熱く考えていきたい、と思い、無言館を後にした。

 坂道をおりて、うっそうと茂る森の木立が陽に照らされて、やわらかく光るようすは、「大丈夫だ。きっとみつけられるよ」と亡くなった画学生たちが、微笑んでくれているようで、おだやかな気持ちにさせてくれた。

 ギターを鳴らしたくなった。愛する人をやさしく抱きしめるようなやさしい気持ちで、一つひとつの音を確かめたくなった。


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