ニャンでも日記



掃除機と戦争

2001年10月06日(土)

掃除機など持ったこともない僕が猫を飼いはじめてからは頻繁に使うようになった。長毛種のヒマラヤンを二匹も室内飼いしているからだ。結構、抜け毛が落ちたりテラスから猫が舞い戻ったら必ず、土を落とす。(鉢植えの土に触れるから)
この頃はあれほど餌を催促していた猫ちゃんたちが掃除機を持つだけで飛んで逃げる。押し入れ、風呂場、冷蔵庫の上、、などなど。掃除機の音が極端に嫌いなようだ。この前まで厚木飛行場から飛行訓練していたアメリカ空軍機の爆音が聞こえていて猫チャンは逃げまくっていた。爆撃はテロリスト以上に猫を脅かしているらしい。その艦載機も横須賀から空母キテイホークとともにインド洋方面に向かったと言う。この4月、グアム島でこの空母を目前に見たが(潜水艦に乗船の時)よもや
再び、この空母の存在を思い起こすとは思いもよらなかった。確かにテロは許せないが報復の方法が一般市民を巻き込むことを考えると、この報復も下手すればテロのやっていることと変わりがないようにも思える。もっと、真摯に話し合いの場をもてないものか、、。人が人を殺めることのない平和な世界がなぜ、実現しないのだろう。


不完全な円を描く人生が多いのでしょうか

2001年10月04日(木)

完全な円を描く人生もあれば,予想も理解もできない形の人生もある
この旅で失ったものが−人生で何が尊いかを教えてくれた、、、
(映画最終画面に流れる言葉)
DVDでメッセージインナボトルを見ていたが、その最後に上記の字幕が流れた。ふと海辺に流れ着いた瓶を拾った女性が(ロビン・ライト・ベン)その瓶の中に入っていたメッセージの送り主を突き止める。送り主の男性(ケビン・コスナー)が亡き妻を想って切々とした内容の手紙を瓶にいれ天国の彼女に託していたのだが、物語は思わぬ方向に、、、。
失った愛の大きさがいかばかりで、その愛を永久に取り戻せないやるせなさ、切なさ、寂寥感がひしひしと伝わってくる映画だ。ふだん、涙のみせない僕も目頭が熱くなった。こんな愛を経験したいなと思うが、如何に。僕も湘南海岸に行って瓶を流そうかな、、。それもいっぱいに。


ちゅうしゅうのめいげつ

2001年10月02日(火)

ひさしぶりにめぐってきた、、ちゅうしゅうの
めいげつがみられると、きたいしていたのに
みえない
こんなうんのわるいひがぼくをぜつぼうさせる

もう、もどれないみちをはるかにすすんでいって
けっきょく、まちがったみちにきてしまったような
どうしようもない、さびしさをかんじる

つきよ
なぜ
ぼくにあかるいみちしるべをしめさないの
あれほどまでに
あなたをいつくしみ
あがめ
とおとい、そんざいとおもってきたのに、、


選ばれた道

2001年10月01日(月)

ひとり生活が孤独とは思わない
だけど、ふと急に思い悩むことがある
愛猫がそばにいても
テレビをがんがんつけていても
好きなビデオに夢中になっていても
いつもの曲をギターで爪弾いていても
何か、、不自然
人生って
結局、こんなことの時間の繰り返し
所詮
戻れない道を
一筋に歩んで行っているのかもしれない


星の見えない夜

2001年09月30日(日)

以前、酒井法子主演の星の金貨をテレビで放送していた時があったが、夜空に輝く満天の星を金貨にたとえる発想は童話からきているそうである。夜空に無数に輝く星が全て金貨だったら、そして自分の前にどうぞと落ちてきたとしたら、、、こう望むのは人間の業であろう。底なしの欲望が湧いてきてあふれんばかりに狂喜する。何ゆえ、金貨を欲しがるかを考えるのは無意味である。そんな人間には温かい心がないからである。真に心温まる人なら、ただ只管、金星を見つめるだけの喜びで充分である。今宵、星を探しながら、こんなことを考えてみた次第、、、。


詩吟

2001年09月28日(金)

詩吟をやっていたら、友人にそんなゲートボール的な趣味はやめちゃいなと言われた。これはある意味で正論でもあり邪論でもあるようだ。僕など詩吟教室に行くと
かなり若い方で、この趣味は圧倒的に年寄りの方が多い。僕が詩吟をする切っ掛けは詩、、とりわけ漢詩が好きだし剣舞も好きだからの理由にほかならない。将棋道場に行けば女性はほとんどいないし、ただし、年齢層は小学生くらいから60−70くらいの人まで来てる。ギター教室に行けば圧倒的に若い女性が多い。結局、種々考えてみると年齢層が厚いほど、一般的な趣味と言えるのかもしれない。確かに友人が言うように詩吟を愛好するのはかなり年配の人が多いようである。もっと
10代くらいにまで(10代で詩吟をやる者は数少ない)年齢層が増えればと思うがこればっかりは難事であろう。詩が好きでないと、、到底、、無理だから。
そういう訳で好きなものは止められない。詩吟の練習箇所は教室と車の運転しているときである。


百人一首

2001年09月27日(木)

瀬を速み岩にせかるる滝川の
  割れても末に逢わんとぞ思う (百人一首より)
奥山の紅葉踏み分け鳴く鹿の
  声聞くときぞ秋はかなしき   (同)

  秋は詩歌がぴったりの季節である。しばらく、ご無沙汰している詩歌作りも
  そろそろやってみなければなるまい。 


夢のコスモス

2001年09月26日(水)

25日は本来なら、清里高原から下仁田の方へコスモス街道を旅する予定だったのに病気になってしまって、友人たちには迷惑かけてしまった。天気がよくバス旅行も楽しかったらしい。コスモスは盛りを過ぎていたらしく100万本は無かったと言う。もっとも、100万というのは多いという形容詞だと思うから、、数える馬鹿もいるまいが、、。帰り、バスがタイヤをパンクさせて動くのに相当な時間がかかったらしい。そんな訳で夢のコスモスとなってしまった。後は11月の北海道旅行に期待するのみとなった。


尿管結石

2001年09月25日(火)

最悪の朝だった。腰部の痛みが朝起きると復活していて、辛抱できにくい状況になっていた。又、病院に出かけた。血をとられたり、尿検査したり、まあ、病院は検査が多く、おまけに時間がかかる。その間、痛みがとまる訳ではないので大変な辛さだった。種々の薬が効いてきたのは午後からで、やっと楽になった。とは言え、結石があるので、再発の危険性がある。来月、造影剤による徹底検査らしい。結局、会社を休んだ。仕事上、決算時期だけに辛さが二倍に感じた。


潜血反応

2001年09月24日(月)

夕方、ラーメンを食べる時に冷蔵庫にあったメンマを入れて食べた。数分後、お腹が痛くなったので腹痛の薬を飲んで寝ることにした。 が、、、今度は左後ろ側が極端に痛くなって呼吸も止まるかと思うほど、、。救急車を呼ぼうと思ったが目の前が病院なので辛抱して歩いて行った。夜9時、、。患者の多いのにはまいった。その間、痛くて仕方がないので事情を話したら少しだけ、優先してくれた。尿検査とレントゲン、、。食事のメンマが腐っている訳ではなかった。潜血反応が多くでていたらしい。結石の疑いがあるのですが、入院するほどではないとの由。医師(男前の先生であった)は丁寧に説明してくれた。腎臓部のレントゲンも見せてくれて丁寧に説明を受けた。一応、水を徹底的に飲めと言われ、痛み止めの座薬をもらった。お尻から入れるからと看護婦が言ったけれど丁寧にお断りして自分で入れますからと(当たり前だよね、、恥ずかしい)洗面所に駆け込んだ。一人暮らしの気安さでラーメン類が多かったのでそんな症状がでたらしい。兎に角、塩分は大いに減らせとの由。帰宅したのは午前0時過ぎ、、。 心配してか茶子とリトが玄関先に迎えに出てきて、身体を摺り寄せてきた。無事に帰れて嬉しかった。(入院して)愛猫と離れて暮らすなんてことは考えられない。体調を崩したのはホンとはパソコンのやりすぎと寝不足だということを自分では分かっているからだ。若いのだから早く直るのに決まっていると言い聞かせて帰宅後、又、パソコンをやっている。shin9nはパソコンが恋人なのかもしれない。

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