ニャンでも日記



あふれんばかりの、、、

2001年08月05日(日)

書店に行く理由は二つある。 先ず、涼しいからだ。暑がり人間にとってこんな良い場所はない。 本が只読みできておまけに体調が良くなる。 もうひとつの理由はいろんな情報が得られるからだ。
でも、毎日溢れんばかりの本が出版され、その大部分が捨て去られている。読まれる本はほんの一握りとは逆説的な意味合いである。 僕も只読みでは申し訳ないので大概、一、二冊買ってくるのだが、そうするために家の中にあふれんばかりの本の山が出来ている。 少しずつ、読んでいるのだが遅々として進まない。 そういう訳で目下は夏樹静子の量刑を読み始めた。


ホームページ

2001年08月04日(土)

ホームページのソフトが数多く売られていて、最初はどれを使用したらいいか戸惑うことが多い。 一応、ホームページビルダーを利用していたがドリームウイーバーもなかなかいいソフトなので、研究してみようと思い立った。


デジタルカメラ

2001年08月03日(金)

かつては、一眼レフやビデオカメラを持っていたが、今ではデジタルカメラ2台のみ所有していることになった。 何故かと言えば、デジカメがあらゆる面で便利なものだからである。 撮影した直後に映像の具合を点検できるのが大きい魅力だし嫌いな映像は切り捨てることが出来るからだ。 また、前者に比べパソコンとの連携が圧倒的にいい。 ホームページ等の資料作りにもいい訳だ。 デジカメの画質がここ数年で飛躍的に向上し一眼レフに遜色のないものになった。 こうなると恐らくは一眼レフの存在は著しくなくなってきて、その内に無くなってしまう危惧が出てきている。 その点、ビデオカメラは動画ということで、静止画とはまた、違った趣があり生き残れるだろう。 ただ、ビデオカメラが本質は動画であるが、静止画も撮影できるようになっていて、この画質も今や155万画素のものが販売されてきている。 もしもだ、、。 この画質が所謂、高画質のデジカメに近づくようになり、しかも小型軽量化が進んだら、デジカメがビデオカメラにその地位を取って代わられることもあろうと思うが、、。 この先、どうなることやら。 興味深々にならざるを得ない。


空蝉

2001年08月02日(木)

テラスにたまたま迷い込んできたアブラゼミが茶子に見つかった。 見知らぬ侵入者への攻撃は相当なもの。 ばたばたと羽を広げて飛び逃げようとする寸隙を逃さず執拗な攻撃に蝉も飛びたてなくなった。 可愛そうだから逃がしてやろうと立ち上がったら蝉をくわえて一目散に家の中に、、、。 台所の板の間に蝉を寝かせてじっと見張っている感じ、、。 リトの方は攻撃こそしないが、茶子がすることを一部始終観察をしている。 それにしても性格の違う猫だ。 驚いた。



2001年08月01日(水)

めっきり雀を見なくなった。 1年を通じて考えてみると身の回りにいるのは鳩やカラスやツバメの類で雀を見る機会がほとんどない。 なぜだろう? 田舎に行けば数多くいるのだろうけれど、それでも以前は近所の木々に雀を見かけたものだ。今日はふと、こんなことに疑問が湧いてきてしまった。


校歌

2001年07月31日(火)

ひょんなことから、ある高校の校歌を聞いた。 大概の高校の校歌は似通っていて結局は母校賛歌の感じになっている。 その点、寮歌はニュアンスが違うようだ。
旧制第一高等学校の寮歌や旧制三高の寮歌の類は力強さに溢れている。 歌うと自然と勇気が湧いてくるような、そんな感じがする。 僕は圧倒的に寮歌の方が好きなのである。 詩吟の好きな理由の原点がここにあると思っている。


猫ちゃんと雷鳴

2001年07月30日(月)

あれほど、威勢のいい茶子(愛猫1歳)も雷には萎縮してしまう。 テラスに鳩などが侵入してくると襲い掛かる猫がである。 調べてみると猫の耳は人間の何倍も先の音が聞こえるそうである。 従って、付近を直撃するが如き、雷鳴を聞くと家のどこかに隠れてしまう。 この仕草が真剣そのものだから、ちょっと異様な気がするが、猫にとっては死に物狂いの逃げざまなのかもしれない。 ただ、ひとつ年上の里飛ちゃんは少し、様子が違う。 雷鳴を怖がるのは同じだが、雷鳴が遠ざかると、どこからか、出てきて空を見上げる。 猫にも性格の違いが歴然としている。



2001年07月29日(日)

各地で祭が開催される頃になった。 盆踊りには東京音頭が必ず、聞かされる。 ノリがいい曲だからだろう。 かつて、青森のネプタ祭、秋田の竿灯祭、大阪岸和田のだんじり祭、神奈川平塚の七夕祭、秦野のたばこ祭、伊勢原の道灌祭、神戸の港祭、、、いろいろ見てきたが一番印象に残るのは岸和田のだんじり祭だった。 なにしろ、おっりゃ、おっりゃ、おっりゃ、、の掛け声にあわせて走り始める山車のスピード感と山車の屋根の上で乱舞する晒し姿の男たちの勇姿がいい。


勝負

2001年07月27日(金)

この頃、やっと勝負感が分かりかけてきた。 勝負は時の運、、と言うがそうではない。 自己との戦いである。 辛抱するときは辛抱し、相手の挑発などに決してのらない不屈の精神が要求される。 将棋などをやっている時は運の要素など皆目ないから100%自分との戦いであるが、それに引き換え、麻雀などは運がかなり左右するような錯覚を抱く。負けると座った場所が悪いと嘆く。これは世の中に生れ落ちた場所を嘆いているようなものであり、なかなか立ち直れない。 それならいっその事、生まれなかった方がいいのだ。 悪ければ悪いなりに辛抱が肝心だし巡り来る春を待っておれば必ず、春は来る。所詮、絶対的に常勝なんぞ難しいのだし、要は数少ないであろうーこれこそ運の要素ー運を悪運にするか良運にするかが紙一重のわかれ道になっており、これが勝負感であり、その人の実力なんだと思う。 負ける人は自分との心の戦いに敗れたのである。 負けるべくして負けたことを場所のせいや運の無さにあてつけてはいけない。 負けた人は弱いのではないし運が悪いのではない。 自分の心を律し切れなかっただけのことである。また勝った人は自分が強いのではなく、たまたま、他の者が勝ちを捨てる勝負に挑んだ結果から御利益を頂いたに過ぎない。 勝った者は己の心をほどよくコントロール出来た者であり、負けた者はコントロールする意欲が無かっただけのことである。


押し付けメール

2001年07月26日(木)

くだらない出会いサイトのメールが携帯を鳴らす、、。 繰り返される馬鹿げた押し付けメールは非常に腹が立ってならない。 返信で怒るにも返信を受け付けない一方通行になっている。 メールアドレスを変更したら、もう二度と元に戻れないので踏みとどまってしまう。 世の中にはこの類の押し付け商法が蔓延りすぎる。
妙な時代だと嘆くのは自分だけか?

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