| 2001年12月21日(金) |
まだディック・フランシスの「黄金」を読んでいる。 |
まだディック・フランシスの「黄金」を読んでいる。犯人探しがこれ以降のメインになると思いきやイアンとマルカムはぞっとするような思いをする。イアンの慎重さが死を回避した。マルカムの屋敷に戻って泊まっていたら二人の命はなかった。誰かが時限爆弾を仕掛けていたのだ。 イアンの犯人探しは命懸けになっていく。家族の誰かの仕業なのか、違うのか。 今日は317ページまで達した。十分面白い。 ここまできたら一気に駆け抜けたいものだが、野暮用で中断した。 ビデオの映画「五条霊戦記」の続きを見た。最後の永遠に続きそうな二人の決闘は迫力と工夫があって良かったが、全体としてはこちらを欲求不満にする出来。テンポとリズムがはずれぱなっし。
| 2001年12月20日(木) |
ディック・フランシスの「黄金」は今日も面白いパート2。試しにアリサ・クレイグの「呑めや歌えや」も。 |
ディック・フランシスの「黄金」は今日も面白いパート2。今日は218ページまで読んだ。主要な人物たちの登場と紹介が終わって気がつくと半ば近く。全く長さを感じさせないまま来て、今度は犯人探しへ針が向く。 一度読んだにも関わらず全然覚えていない。 面白かった記憶しか残らないから「読書日記」の意義があるわけだ。 試しにアリサ・クレイグの「呑めや歌えや」(創元推理文庫)という不思議ユーモアのミステリを読んでみた。ヒロインのジェネットが突然わけのわからぬ惨事に巻き込まれる場面からのスタートで、相棒の夫マドックが登場する約30ページまで一気に読ませる。 試しにというのは「黄金」があまりにも楽しいので自分が何を読んでも楽しめる状態に陥っているかどうか調査するためにということ。 結果、どうもそういうハイな読書人状態になっているようである。
| 2001年12月19日(水) |
ディック・フランシスの「黄金」は今日も面白い。 |
ディック・フランシスの「黄金」は今日も面白い。142ページまで面白さは一定に維持されている。交通事故で脳障害になった義理の兄弟ロビンのことで主人公のイアンと父親マルカムが親子の絆・信頼を回復する場面はさりげなく秀逸である。 マルカムが5回結婚したせいで生まれた義理の家族が次から次へと登場してイアンを閉口させる一連の場面もいわば人間喜劇的で傑作だが、語り手でもあるイアンの秀でた人間観察力・洞察力が何よりも楽しい。これほど人に対する批評や判断が的を射ている人物に共感できれば面白くないわけがない。 危機一髪というシーンはまだ自動車に襲われた時だけなのに、禁欲的な感じのイアンの内面の語りや財産分与目当ての義理の姉や兄などの襲来によって十分サスペンスが醸し出されている。 ディック・フランシスはやはり語りの名手である。 二十年以上も前から読んでいるのにまだ面白く読めるのはこちらが進歩していないからだろうか。それともあちらが進歩し続けているからだろうか。
| 2001年12月18日(火) |
ディック・フランシス作菊池光訳「黄金」(早川書房)はやはり面白い。 |
ディック・フランシス作菊池光訳「黄金」(早川書房)はやはり面白い。1993年の文庫版(ハヤカワ・ミステリ文庫)がこれなので一度目はその何年か前の単行本で読んだことになる。その時に大いに面白かったので文庫版になった時に一種の懐かしさから購入した。一度読んだものをもう一度、ということにはなかなかならない。で、2001年の末になった。10冊ほど積み上げた中ほどにはさまったままいつからそうなっていたかわからないぐらいの日々が過ぎた今日なぜか抜き出して手にとった。今日は「ゼノサイド」の続きを読むはずだった。 面白い本は野暮用を蹴飛ばす。教師の目を気にしながら机の下に隠して本を読む学生のように野暮用を意識しながらも読むのをやめるのは難しかった。 結局、一気に76ページ読んでしまった。 本当に面白い本は言い訳を許さない。浮気をさせない。 久しぶりに読み始めた「黄金」は時間を忘れさせた。 現実離れした大金持ちの父親とアマチュアの騎手をしている息子(主人公)がかつて断裂した親子の信頼関係を修復していくというのが物語の核だが、普通小説ではないのでスリルとサスペンスで存分に味付けされている。例によって主人公の一人称による語りが読み手を物語に引き込んでいく。この洒落た感じでやや思索的なおもむきの語り口は妙にこちらの気持ちをくすぐる。 「私は父の五番目の妻を心底から嫌っていたが、殺すことを考えるほどではなかった。」これは一番最初の文章。ディック・フランシスは冒頭から核心に入るのだ。相当きざな書き出しである。 しかし、読み手は変なところで興味関心を抱く。かつては犬を飼っていなかったので「ペンブロゥク」という主人公の名字には何の感興も湧かなかった。しかし、今は、違う。ウエルッシュ・コーギー・ペンブロゥクを連想して何かしらうれしくなる。「犬」と書いてあるだけでも気がひかれるのと同じだ。 そんなこんなで小一時間読み続けた。反動はその後来た。 まあいいか、という感じである。
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