| 2001年11月19日(月) |
「新・本格推理01」の二階堂黎人の前書きとあとがきを読む。 |
「新・本格推理01」の二階堂黎人の前書きとあとがきを読む。今日は野暮用で読書時間をまったくとれず。この作家のものは二つ読んでいる。おどろおどろしい雰囲気に比して非常に論理的な頭脳の印象があった。この短い文章も情熱と明晰さが伝わる読みごたえがある。作品は長いものが多いので読み終えるのに日時がかかる。こういう短い文章でありながら作者の真価がわかる文章は助かる。 「松下竜一その仕事1」(河出書房新社)の解説やエッセイを同じような理由で読んだ。文藝春秋の「本の話12月号」届く。すぐに開いて目次をチェック。今回はあまり興味が出ない。今日はこれで終わり
| 2001年11月18日(日) |
「バッドラック・ムーン」(講談社文庫)「精神寄生体」(学研M文庫)「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書)を読もうとした。 |
コナリー「バッドラック・ムーン」(講談社文庫)コリン・ウィルソン「精神寄生体」(学研M文庫)佐野眞一「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書)を読もうとしたが冒頭のみ。 「バッドラック・ムーン」プロローグは意味深な会話を交わす男女。続くパート1はその女の方が一人で登場し、あるオープンハウスを意味ありげに見学する。翻訳者が木村二郎氏なので期待が強まる。 「精神寄生体」は、本体に入る前に作者の日本語版への序文やまえがきを拾い読みして終わり。翻訳者の小倉多加志氏は1911年生まれにびっくり。しかし、1991年に死去されていることを知り、さらに驚き神妙な気持ちになる。訳者紹介欄の主な訳書の中に読んだ本はなかったけれども、記憶に残っている名前の人だった。 「私の体験的ノンフィクション術」は絶対に面白いはず。民俗学者の宮本常一にほれこんだ作者の自己教育・自己学習の過程を自己紹介している本らしい。最初の方を立ち読みして購入を決めた。『遠い「山びこ」』と『だれが「本」を殺すのか』を読んだ範囲では充実した内容の本になっているはず。 今日購入した本。 アシモフ「ゴールド」(早川文庫) カード「エンダーズ・シャドウ(上・下)」(早川文庫) 江戸川乱歩賞全集2仁木悦子・多岐川恭「猫は知っていた・濡れた心」(講談社文庫)
| 2001年11月17日(土) |
山田風太郎「忍法創世記(山田風太郎コレクション2)」(出版芸術社2001.9.10)読み終える。 |
山田風太郎「忍法創世記(山田風太郎コレクション2)」(出版芸術社2001.9.10)読み終える。他の本に振り向かせない忍術の力がせいか、いつも多少は平行して別の本を読むのだが、今回はこれのみ一気読みだった。後半はさすがに傑作とはいいがたいテンポとアイデアで退屈な部分も出てきた。それでも途中から登場した十五歳の牢姫と「牢の御剣」の非情な魅力が物語を救って、ふさわしい結末を作った。まるでクリスティがあらかじめ執筆しておいたポアロの最後の事件ようだ。作者は死しても作品は残る。週刊誌連載からおよそ三十年後、しかも作者が死去してから蘇えった忍法「不死身」のごとき作品ともいえる。見事である。 山田風太郎の作品を読み出すと危険である。つい夢中になって他の本を読めなくなってしまう。 今日購入した本。 佐野眞一「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書2001.11.21) 今机の上にある本。 北方謙三「風樹の剣」(新潮文庫) 山本周五郎「艶書」(新潮文庫) 火坂雅志「西行桜」(小学館文庫) 佐藤友哉「フリッカー式」(講談社ノベルス)
| 2001年11月16日(金) |
山田風太郎「忍法創世記」読み始める。 |
山田風太郎「忍法創世記」読み始める。「伊賀と柳生の結婚式」なる奇妙な題名の章から始まり、「柳生流先史時代」を経て「伊賀流創世時代」に至るところまで読み進む。ほとんどギャグにつぐギャグが甚だしく読むに値しない、とは全然ならずいったいどうなるのとページをめくるのが厭わしいほど面白い。純粋培養された忍法帖は抜群に鮮度が高く融通無碍でひときわ楽しい読み物になっている。 今日購入した本は、宇江佐真理の「幻の声(髪結い伊三次捕物余話)」(文春文庫)とピーター・モーウッド「騎馬の公子(歳月の書)」(創元推理文庫)
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