読書日記

2001年11月03日(土) 鳥羽亮「骨食み(天保剣鬼伝)」を読む。

鳥羽亮「骨食み(天保剣鬼伝)」を読む。天保剣鬼伝シリーズの2作目。1作目は「首売り」だった。この著者の作品はこれで3冊目。佐伯泰英とどちらが面白いかなどと比べてきたがこれはこれで面白い。主人公格の素浪人島田宗五郎の魅力よりも敵方の悪役キャラクターに凄味や人間的な面がある。これで仲間の芸人達の存在に膨らみや拡がりが出ればもっと忘れがたい物語になる。
今日購入した本。
キム・ニューマン「ドラキュラ紀元」(創元推理文庫)
アルトゥーロ・ペレス・レベルテ「フランドルの呪画」(集英社文庫)
半藤一利「永井荷風の昭和」(文春文庫)
デュアル文庫編集部編「少年の時間」(徳間デュアル文庫)
昨日今日とモニター異常なし。



2001年11月02日(金) 山田風太郎「江戸忍法帖」は止まらない。

山田風太郎「江戸忍法帖」は止まらない。講談社文庫版「山田風太郎忍法帖8江戸忍法帖」をおよそ二十五年振りくらいで再読したことになる。全く覚えていないのでやや怪しいが読んでいるはずなのだ。ただ大型の山田風太郎全集版だったからそれに入っていなければ再読にはならない。
話の展開が早い。遅滞が全然ない。疾走感あふれる心地よい作品である。
甲賀七忍対将軍家の血筋を引く山育ちの若者葵悠太郎プラス鮎姫と越後獅子のお志乃。
最後には天下の副将軍水戸光圀まで登場して堂々の大団円を迎える。
テンポのいい会話と破天荒な対決場面の連続が比類ないスピードでページをめくらせる。初出が1959年という古さを全く感じない単純明解かつ清新な忍法小説。
その後、鳥羽亮の「天保剣鬼伝 骨食み」(幻冬舎文庫)に手を出し、108ページである。「骨食み」と称する豪剣の使い手の謎と堂本座を狙う魔手のやり口に引き込まれてあっと言う間の100ページだった。
モニターは今のところ正常である。いつまた3重映しになるかと気が気でない。



2001年11月01日(木) 佐伯泰英「政次、奔る」は読後感がすばらしい。

佐伯泰英「政次、奔る」は読後感がすばらしい。前作よりもさらに主要な人間たちの描写が生き生きとしていてこれはもう個人ではなく集団を主人公にした警察小説ののりである。題名に政次の名前が入っているけれども、金座裏の岡っ引き宗五郎を核として上司の同心たちや手下の手先たちだけでなく政次が手代として働く松坂屋の隠居や前回で主演女優で今回は割と地味な役回りのしおまで生き生きと動き回っている。
ラスト・シーンも見事に決まり、深くにも目頭が熱くなった。まちがないなく傑作。
と、ここまで書いてきてディスプレイが不調、三重になってしまった。
今日はここまで。でも、明日は、不明。



2001年10月31日(水) 今日もミステリマガジン12月号の拾い読み。

今日もミステリマガジン12月号の拾い読み。この雑誌は隅々まで行き届いているので思わぬ読みどころがあらわれて得をした気分になることがある。するめのような雑誌である。その点SFマガジンは直情径行でまだ子供気分が抜けていない感じがする。出所は同じでも同列には論じられない。
中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第11章は「野間宏の知られざる一面ー追悼のために」である。途中までは先の10章と共通する回顧的内容で、筆者が野間宏に立ち入ったアドバイスをしたという話。後半は逆に野間宏が筆者の作品についての意外な理解者だったことに驚き、やがて非常に喜んだという告白。野間宏が彼とは無縁だと信じていたプルーストや王朝の貴族美学の読者であり、そこから筆者の小説に対する深い理解と愛情ある批評が生まれたことを知って、中村真一郎は歓喜したという。
思い起こすと今年は1月に凄い時代小説を一つ読んでいた。それは池宮彰一郎の「天下騒乱(鍵屋ノ辻)」上・下巻である。この荒木又右衛門の物語は凄まじかった。伊賀上野、鍵屋の辻の対決に向けて敵対する者たちがそれぞれに動き出す。後半の大立ち回りはリアルに描かれ、主要人物はみな格好悪く死んで行く。甚衛門、槍の半兵衛はまともに切り合えずに又右衛門に斬られる。全ての謀略の核たる土井利勝も家康の墓参の帰り階段から転げ落ちたまま死んで行く。知略、剣戟の場面すべてすばらしい。傑作。大傑作。


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