| 2001年10月19日(金) |
佐伯泰英「逃亡」鳥羽亮「首売り」二冊を一気読み。 |
佐伯泰英「逃亡」鳥羽亮「首売り」二冊を一気読み。 佐伯泰英「逃亡(吉原裏同心)」(ケイブンシャ文庫2001.10)と鳥羽亮「首売り(天保剣鬼伝)」(幻冬舎文庫1999.11)を続けて読んだ。「逃亡」は最新作。新しい趣向のシリーズ第1作である。神守幹次郎とその妻汀女の二人が主人公となっていわば文芸的俳諧的に活躍する。もちろん傑作である。続けて読んだものだから「首売り」も佐伯泰英氏の作品と半ば錯覚しながら楽しんだ。真っ向勝負の趣のあった「三鬼の剣」を超える面白さで錯覚も当然の傑作。傑作の大安売りのようだが、二作とも間違いなく面白かった。「首売り」の主人公は島田宗五郎とその芸人仲間。幹次郎も豪剣をふるうが宗五郎の剣の方が多く血がほとばしる。 中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第3章の題は「二十一世紀の静岡県」これは静岡新聞のアンケートに答えたものらしい。県の未来像を求められて、「日本の首府を富士山麓に移し、伊豆地方は首都の市民の休養地として・・・・」などと三行の中で書いている。 今日購入した本。 光瀬龍「秘伝・宮本武蔵(下巻)」(徳間文庫) 別のブックマーケットで発見。二百円だった。すぐに五十ページほど読んだ。やはり良い。
| 2001年10月18日(木) |
「クィン氏の事件簿」を読み、納得する。 |
「クィン氏の事件簿」を読み、納得する。 昨日新たに買ったクリスティの「クィン氏の事件簿」(創元推理文庫)の一つ目の物語「クィン氏登場」を読んだ。少し前に早川文庫版の「謎のクィン氏」でも読んだ話をもう一度読んだことになる。本のタイトルは違っても同じ短編集である。何も同じものをま読まなくてもいいではないかと言われそうな行動である。 前にも書いた通り早川文庫版では昔の抱いたはずの感興が全く湧かなかった。そのことに得心がいかなかった。かつての感銘はなんだったのか。本当に過ぎ行く時がこの物語集を風化させたのかと。または、自分の方が変わってしまったせいなのかと。 昔読んだのは創元推理文庫版だった。 探せば物置のどこかにあるはずの本を探すのが手間なので古本屋で買うしかないと考え、実はこちらの方が手間だったのを、やっと捜し当てて読んでみた。 結論は、話がわかりやすかった。わかりやすくて、その上ちょっとした感動と感心もそこには残っていた。 文章が何か込みいっていて、表現されていることがらの理解を少し妨げているのが、早川文庫版だった。創元推理文庫版はよく整理されていて飲み込みが早くなめらかに進むので、すっきりと読めた。 これは好みの問題だからどちらが良いかという結論は出ない。自分にとって、の問題である。 クィン氏の物語が復権を果たして、ほっとした。
中村真一郎の文章は無駄がなく、どこをとっても考え抜かれた鋭い文章である。 「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第2章の題は「人間性回復の時代に」である。 「あと十年足らずで始まる新しい世紀は、ぜひ人間に人間性を回復するための時代となってほしいと思う。それまでの十年のあいだ、個人は小さいともしびを、それぞれの心のなかにともして、世界の激しい風のなかに光りを守りつづけたいものだ。」 純粋かつ純真な文学者は浮世離れした生活を送っていると思いがちだが、全くそれは間違いの極みである。 鋭い批評眼・意識的かつ強靱な精神が日本を含めた世界の動きを見つめていた。
最近購入した本は以下の通り。 エヴァンス「天使がくれた時計」(講談社) 笹本祐一「天使の非常手段RIO1」(ハルキ文庫) ディレイニー「ノヴァ」(早川文庫) ステイブルフォード「地を継ぐ者」(早川文庫) 山根一真「メタルカラーの時代5」(小学館文庫) 光原百合「遠い約束」(創元推理文庫)
| 2001年10月17日(水) |
中村真一郎「小さな噴水の思い出」をちびりちびり・・・ |
中村真一郎「小さな噴水の思い出」をちびりちびり・・・ 1991年と1992年に作者が書いた読書についての短文集で、全100編、二年間の記録である。短い四行程度の推薦文から芥川龍之介の六ページの解説文まで筆者の多彩さの展覧会と言ってもよい。この手の本は新潮社から出すことになっていたはずなのに、これはなぜか筑摩書房である。 1番目は「『とりかへばや、男と女』を読みながら」で、臨床心理学者河合隼雄の本を取り上げている。現代の日本人が書いた本はほとんど読むことはないはずで、読んだとしても失望しか経験していない筆者が珍しく褒めている。 「読みごたえのある本と同時に、読み疲れのする本であった。」と述べ、さらに「王朝物語を、私のように深層心理の表現の方法への手掛りとして利用している作家は、他にはひとりもいないだけに、特にこの分析は我が意を得たものとなった。」と嬉しさも表明しているのも稀なことである。 余程充実した気持ちが得られたのか、この短文の結びは美しく終わる。 「そして、最後にモーツァルトが自分の交響曲を『一瞬のうちに聴く』と言ったという体験の紹介は、思いがけない喜びを私に与えた。私もまた千枚にあまる長編小説を、その発想の際、一瞬間のうちに全体を細部に至るまで、眼前に見通してしまうからである。それを実際に原稿用紙に書きとるには、数年を要するのであるが。」 孤高のランナーが思いがけない並走者に邂逅したような喜びがある。 この短文集の拾い読みはなぜか楽しい。筆者の高い精神性に感化されるのか、その文章の表現力のためか、興味・関心のうすい分野の本への言及も面白く読める。 こういう本を読むと時代小説なんか、何だ、そんな気分にもなる。 鳥羽亮の文庫本の解説はどれも激賞だった。同じ本の中で褒めないわけはないが、揺るぎない自信に満ちた解説にあうとやはり信じたくなる。 最近購入した本は以下の通り。 パトリシア・ハイスミス「リプリー」(河出文庫) 山田風太郎「死言状」(角川文庫) アガサ・クリスティ「クィン氏の事件簿」(創元推理文庫) 辻邦生「江戸切絵図貼交屏風」(文春文庫) 鳥羽亮「首売り(天保剣鬼伝)」(幻冬社文庫) 佐藤泰正「驚くべき速読術」(知的生きかた文庫)
| 2001年10月15日(月) |
「ほぼ日刊イトイ新聞の本」と「三鬼の剣」を読む。 |
「ほぼ日刊イトイ新聞の本」と「三鬼の剣」を読む。 糸井重里「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(講談社2001.4)を読み終えた。軽い気持ちで手にとったが、読み始めたらこちらの琴線に触れることが多く、感動の実録長編エッセイと褒め讃えたい気分いっぱいになった。失礼を承知で見直したというべき感じである。恐るべし糸井氏である。 鳥羽亮「三鬼の剣」(講談社文庫1997.1)を読んだ。最新作を褒める声をラジオで聞いてからずっと気にかかっていた作者である。江戸川乱歩賞受賞の作品は現代ものだから時代小説の一作目でまず面白さを確かめたいと思っていた。贔屓の佐伯泰英氏と比べたかった(お二人に失礼だが)。 簡単に言うと予想以上に面白かった。殺陣の迫力はもちろんのこと、人物描写や謎解きの部分もしっかりしていて全く飽きさせない。鮮明で爽快な文章に乗って物語の結末をその日以外に伸ばすなど否定するしかない疾走感がある。 純粋なチャンバラ小説である。この面白さ、楽しさ、愉快さ、素朴さは他にはないだろう。佐伯泰英氏との比較は宿題となった。
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