| 2001年09月09日(日) |
「青木玉さんが語る幸田家三代」その他を読んだ。 |
「青木玉さんが語る幸田家三代」その他を読んだ。 講談社の文庫情報誌「イン・ポケット」1996年六月号を引っ張りだして読んだのが、「青木玉さんが語る幸田家三代」(祖父露伴を困らせた母文、母の後ろで困っている私)。幸田文のエッセイ集「季節のかたみ」が講談社文庫に入るのにちなんでのインタビューで、これから幸田文の作品も読んでいきたいので入門書として目を通してみた。 「もともとあんまり構えたところがない人なんです。だけど構えさせたら、飛び切り構えます。そのきりかえが早いのです。さんざん辛い目を見て、涙をこぼして習得したんでしょう。人の気持ちを読むのは的確でした。」(15ページ)珠玉の語りと言ったら変だろうか。 その他、増田みず子の「幸田文と日常生活」、染色家の吉岡幸雄の「鈍色とよごれ色」もよい。略年譜と中野孝次の「季節のかたみ」の書評再録もあり、貴重な資料である。 「阿川佐和子のアハハのハ(この人に会いたい2)」(文春文庫)は22人の著名人とのインタビューをまとめた本だが、宮部みゆきの部分のみ読む。「理由」が評判になっているとき、つまり1998年中頃に行われたものである。 「家族には、私の作品を一切読まないように言ってあるんです。」(219ページ) ちょっと読めない状況が続いている。 買ってあるはずの「ポストマン」が見つからない。
| 2001年09月08日(土) |
「あえて英語公用語論」(船橋洋一)を30分読み。 |
「あえて英語公用語論」(船橋洋一)を30分読み。 結局、エリートに英語を任せたのが日本の間違いということか。総合的に見ると政府の英語力がたいしたことがない。過去の戦争も貧弱な英語力が招いたともいえる。もちろん英語の力だけでなく交渉する力もお粗末。 こんな過激なことを言っているのかいないのか。 しかし、どんな内容と主張であれ、文藝春秋社から出た本なのだからこのくらいのことは書いても政府は痛くも痒くもないのだろう。 でも、妙な説得力を持っていた。そのうちじっくり読んでみたい。
デイヴイッド・ブリン原作の映画化「ポストマン」をテレビで見た。景色は壮大でいいのだが、感動したいところで感動できない作りで、残念。話が有機的に結びついてゆくとは言えないので一幅の「絵」としては様になっていても物語もしくは神話になっていない。少年の心に「物語」を残したと言えば、西部劇「シエーン」だが、近未来物では「マッドマックス2」がある。映画「ポストマン」はテレビで見た限りでは「惜しかった」と思う。相当カットのはさみが入っているようだが。 NHKの朝のドラマ「ちゅらさん」は面白い。沖縄を一面的にしか捉えていない、という批判もあるが、毎回読み切りのコント大会もしくはギャグ大会でこんなにふざけたドラマがNHKでかつてあっただろうか。(多分あった。) もう何かに毒されているとしか思えない。出演者の目つきがみんなその気なのである。 残念ながら来週はシリアスドラマに戻すという予告があったが、フジテレビの「できちゃった婚」よりもはるか上をいく笑い満載である。異色である。 またあまり本が読めなくなってきた。
| 2001年09月07日(金) |
「レベリオン(放課後の殺戮者)」を読んだ。 |
「レベリオン(放課後の殺戮者)」を読んだ。 何日か前に気分転換にと2、3ページのつもりで三雲岳斗の「レベリオン(放課後の殺戮者)」(電撃文庫2000.5)を手にとったら、三人の奇妙な死を描いた序章(25ページまで)のテンポのよさから逃れられず、第一章「殺しにきた少女」へ進んだ。傷ついた美少女と遭遇した主人公の男子高校生が自分も瀕死の重傷を負い気絶。気がつくと優れた医者である10歳年上の姉が登場して・・・と続きだいたい50ページのところで中断。 一気読み可能な展開が予想できる面白さ保証付きみたいな学園モンスター超能力アクションSFで、ジャンル(?)としては最も好きな話だったが。 間を置いたのがよかったのか、今度はノン・ストップで最後まで行った。 同じ学園ものの高瀬彼方の「カラミティ・ナイト」は文句なく激賞できるが、「レベリオン」は保留。「歌」によって襲ってきた敵を傷つけずに鎮める(泣かせる)場面はよかったが、電撃文庫という枠組みのせいなのか盛り沢山のわりに、という印象を受けた。 しかし、迷わず、一気に読んだ。作者は剛腕である。小松左京の「エスパイ」と比較する必要がある。堂々たるSFには間違いないから。
辺見庸の「ハノイ挽歌」(文春文庫)32ページまで。 「毎日僕が寝ているベッドについてもお話ししましょう。」霧雨の世界である。
| 2001年09月06日(木) |
今日はまた本命の一冊を決められず。ミス・マープルものなど。 |
今日はまた本命の一冊を決められず。ミス・マープルものなど。 調子がいいときは次から次へと読破してやむことを知らないが、最近は冒頭がどんなに面白くてもいったん止まることが多い。もやもやした何かが足止めをする。読みたい本がいっぱいあることが原因だろうか。いくら読んでも同じというような無意識の徒労感が踏み出す足を重くしているのだろうか。昨日までの生活の中心にあった「古着屋総兵衛影始末」にしても冒頭を読んで閉じてからもう一度開くまでに時間の経過を必要とした。 というわけで今日はいわば冒頭的読書。 河合隼雄「子どもの宇宙」(岩波新書1987.9)この筆者の考えをすべて語っていると思われる「はじめに」の部分。8ページまで。 「ひとりひとりの子どもの中に宇宙がある」 高木仁三郎「市民科学者として生きる」(岩波新書1999.9)6ページまで。 アガサ・クリスティ「ミス・マープル最初の事件(牧師館の殺人)」(創元推理文庫1976.6)20ページまで。クリスティの作品はこの20年ほど一部の例外を除いて読んでいなかった。かつての熱が嘘のようだ。ただ例外はあって、クイン氏ものはなぜか気に入っていて何年か前の「ミステリマガジン」でクリスティ特集には喜んだ。たまに読み返したいシリーズだ。 佐伯泰英「密命(残月無想斬り)」(祥伝社文庫2000.3)18ページまで。行った本屋にはこのシリーズの3と4しかなかった。1と2を読んでからと思ったが、「古着屋総兵衛影始末」の後遺症でちょっと手を出してしまった。当然のことながら総兵衛とは異なる味の主人公で、池波正太郎でいうと「剣客商売」か藤沢周平の味わいだろうか。それにしても、これもあれも「書き下ろし」である。凄い。
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