読書日記

2001年07月27日(金) 「スペース・カウボーイ」を今日も観て時間が足りなくなる。

「スペース・カウボーイ」の続きを見る。地上でのさまざまな葛藤をエスプリを利かして描いた後はどうなるか。宇宙での活躍も手抜き一切なしでリアルに自然に描き、奇跡的なある帰還もありうると思わせた後のラスト・シーンは完全にSF史に残る見事で完璧な着地。SF史に残るというより、西部劇またはマカロニ・ウエスタンの歴史を踏まえているというべきか。題名が「スペース・カウボーイ」なのだから当然あるべきラスト・シーンというべし。DVDではなくて映画館で観たかった。
 そんなかんなで本は読めず。最近読書日記になっていない。苦し紛れ日記である。で、講談社の「イン・ポケット」六月号の巻頭対談を読んだ。直木賞受賞作家同士の二〇頁以上あるがっちりした対談である。タイトルは「江戸の女は私たちよりも幸せ?」だが、現代の批評になっている。「幸せっていうレッテルを貼れる目標を取っかえ引っかえやってきて、今手持ちの品が切れちゃった。」「真面目で一所懸命働く人であればあるほど、部品になってしまってる。」など決して斬新な意見ではないが、今の社会をしっかり見ている。
 宮部みゆきの最近作「模倣犯」は読んだが、坂東真砂子は「山妣」でとまっている。坂東真砂子も再点検要である。
 それにしても「イン・ポケット」はお徳用である。
  



2001年07月26日(木) 「スペース・カウボーイ」を観て時間が足りなくなる。

「スペース・カウボーイ」を1時間見たので読書できず。
 先だって「千と千尋の神隠し」を見たせいか、映画の方に心が向いてきているような気がする。で、読書日記を毎日つけるのがつらい。しかも、今日はまとまって読んだものはない。
 待望の「イン・ポケット」7月号と「本の雑誌」8月号が講談社の「本」8月号とともにやっと届いた。なまものだったら、とうにいたんでいる。発行元や書店が悪いわけでもないらしいので文句は言わない。グチは言うが。
 とりあえず3冊の雑誌を飛ばし読みした結果、記憶に残ったのは次の通り。
「本」では、出久根達郎「貸本屋の客」と笙野頼子「森茉莉の捨てた猫」の2編。
「本の雑誌」では、椎名誠「今月のお話ー北と南のいかがなものか」と(杉)「後記」の2編。
「イン・ポケット」では、恩田陸「恐るべき入口」
隅から隅までまめに読んではいないのでもっと面白いものを見逃している可能性もある。
 「スペース・カウボーイ」を一気に見られるでもなく、「リセット」の続きを読めるわけでもなく、悩ましいどうにもならない一日だった。 

 
 



2001年07月25日(水) 北村薫「リセット」と辻邦生「微光の道」を並行読書。

 北村薫「リセット」(新潮社)、辻邦生「微光の道」(新潮社)を読み始めるが、野暮用でなかなか先に進めない。「スキップ」はテレビドラマにもなり、その評価はある程度決している。タイムスリップ物というより普通小説といった方がいい。あまりにも達者な書きっぷりでひとつの理想的作品が作られたと思ったくらい感動的な物語だった。次の「ターン」は今一つの感じがした。今度は虚構の度合いが強く感じられ、設定に納得するまでに時間がかかった。「時と人」三作目の「リセット」をまだ18頁しか読んでいない。時代は過去。どうやら第2次世界大戦前後。若い女の子が語り手であり主人公で獅子座の流星群を父親と一緒に目撃したことが重要らしい。なんとなく少女趣味を連想させる語り口で、思わせぶりでもある。一気に100頁は進めそうな心地よい文章だが、残念ながら中断。
 「微光の道」は先だって亡くなった辻邦生のエッセイ集。「私の好きなミステリー・ベスト5」とか「私の好きな文庫本ベスト5」にまず目が行ったが、巻末の佐保子夫人の「字を書く手・・・・・あとがきにかえて」が良い。辻邦生の最近までの過去を語り、辻邦生が原稿用紙に向かって文字を書き継ぐ様子や街角にたたずむ姿を見事に蘇えらせている。夫人もまたすばらしい書き手である。
 その一節「通夜の晩には、森の暗い木々を透かして満月が昇ってくるのが見えた。」辻邦生は最後まで美しい場面を演出したということか。
 以上、過去が現在を印象的に染め上げる話として。
 「フォーカス」を廃刊するくらい経営が大変らしい、両方とも新潮社発行の単行本だった。



2001年07月24日(火) 岩波の「読書のすすめ」第6集は正直だ。

「読書のすすめ 第6集」(岩波文庫編集部編)、今回はみんな正直だ。毎回さまざまな筆者が登場して愛読書などについて語るのだが、最新の第6集は抜きんでて正直、開けっ広げに自らの読書体験を語っているように思える。
 牛島信明は「することといえば本を読むことと酒を飲むことぐらい。」と語り、木田元は「そのころやはり絶望しきっていた私は、この主人公たちに自分を投影して気持を慰めていたのだと思う。」と述べ、轡田隆史は「したがって、勉強のほうはからきしダメ。」と告白し、坂田靖子は「私はその本の分厚さと重さにメマイがしました。」と言い、清水良典は「・・・じつは内心うんざりしながらも、一種の見栄、あるいは重苦しい義務感で、仕方なしに読み始める。」と懺悔し、高橋英夫は「実は私は、娘が高校時代に使った指定参考書『新修国語総覧』というのを、「これは便利だ」と、辞典類を並べた書棚に一緒に置いて、今でも時々使っている。」と説明し、田中克彦は「このようにして得た見通しは、決して手放さないぞと考えているうちに、いい年になってしまった。」と悔い、増田れい子は「自分が誰にも何にも気兼ねすることなしにひとりでじっとしていられる空間と時間が欲しい。」願う。
 結局全八編の読書エッセイ集になっているわけだが、単純に最も面白かったのは坂田靖子の「漱石先生にとりつかれる話」だった。
 無料の小雑誌だが、中身は濃い。読みでがある。
 東谷暁「困ったときの情報整理」(文春新書)を読了。第3章以降は筆者の自伝的回想録としても読める。具体的なエピソードに沿って語られていて、この種の本では今年一番収穫である。行き届いた内容と文章のために筆者の他の本も読みたくなってくる。


 < 過去  INDEX  未来 >


イセ [MAIL]

My追加