「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2016年05月19日(木) 遊び心

 私達はなれない状況や環境の中で緊張するのはなぜなのでしょうか?というのは今日、マッサージクラスの実技テストがあったのですが、普段クラスで練習している時よりも緊張してぎこちない動きの自分を観たのです。テストなのでプレッシャーが合ったともいえますが、それなら、テストの時にプレッシャーを感じるのはなぜ? 突き詰めていくと、いつもよりちゃんとしなくちゃとか失敗しないようにしなくちゃという感覚がプレッシャーになり、観察されているという自意識が身体をコチコチにさせていたとわかりました。
 他のクラスメイト達もテストの後に私の感じたことと同じことを行っていたので同じような状況ならば誰でもこのようになると片付けることも出来るのだけど、出来ればいつでもリラックスできる自分でいたいのです。ということで、どうすればいいかなぁと考えてみると、もっと自分を観ればいいということになりました。
 自分を観ると言っても、マイナスを探してそこに集中したり、もっと出来るように頑張れ頑張れと声をかけ続けたりするのではなく、“遊び”を取り入れるのが良いと思います。例えば、私のテストの場面でも、いつもと同じだと言い聞かせたりせず(実際には、自分はいつもとは違う状況に居て、そのことを知っている自分なのだから効果は薄いのでは?、どんなふうにして自分を遊ばせてあげようかなぁ〜〜と進めていくのが良い方法だと思います。あとは、どれだけ出来るかやってみよう〜というような軽い気持ちの中に自分を送ってあげること。こんな風にして楽しみを探していると、本当に楽しくなってくるから不思議です。
 ということで今日もまたまた自分観察の日々。自分育ては楽しいです。なんだか、次のテストが楽しみになってきました。


2016年05月18日(水) 鶴見俊輔さん

 鶴見俊輔さんという哲学者がいます。本など読んだことがないのですが、哲学的な視点から様々な一般とは違う価値観を持っているので彼の思想を読むのが好きです。今日読んだ新聞記事の中に、鶴見さんの考える "くに" と "国" の使い分けが書かれていました。鶴見さんにとって、国は国家のことで、くにとは、私達が生まれ育った国として親しみ、家族や友人を持つ場所のことだそうです。
 まず、この漢字と平仮名の使い分けが素敵だと思いました。誰にもわかるやさしい言葉を使って丁寧に語ることの基本があるように思えます。それから、国とは国家であるというその見方も心地よさを覚えます。国家と聞くと、日本という国から何かしらのコントロールを受けているイメージになりますが、くに、いう字を見ると、自分の生まれ育った緑いっぱいの田舎の風景が浮かびます。
 このように、言語を上手に使い分けて自分を伝え、自分育てにつなげていくのは素敵なことだと思いました。彼は既になくなっていますが、国家ではなく自分を基準にして社会に訴えて来た彼の思想を利用して私もこれからも成長します。


2016年05月17日(火) 自分観察

 いまスピーチのクラスを受けているので、一週間に一度観衆の前でスピーチする時間があります。今日、3回目が終了して思ったことは、会が重なるごとに人々の前で自分を語る自分を冷静に見れるようになっているということです。
 自分を観察するとき、私は自分の背中から自分を見るようにしています。時々自分の後頭部を見ていることもあります。そんな時は後で気づいて笑えますが、大抵は自分の語っている言葉をよく聴くようにしていたり、その時自分がどんなふうにジェスチャーしているかを見たりしています。私の場合、今は英語圏にいるので特に、相手の話を聞き取ろうとして目を細める癖があります。それから、時間をもてあましていたり退屈している時、髪の毛を触る癖があり、そんな風にしている自分に気づいて改めます。こんなふうに自分のことを語るのは面白いですね。みなさんはどんなご自身を知っていますか?


2016年05月15日(日) スペース

 最近ある授業の中で、人と人との間にあるスペースについて考えたので書いておこうと思います。私達は皆、自分にとって快適なスペースを持っていますね。そして、他者と自分の間に自分が作るスペースはその人との心の距離に大方比例していると言えますね。私は、過去には他者に近づかれると引いてしまう傾向がありましたが、心のコトを勉強し始めて以来、人と自分との間の距離というものをあまり感じなくなりましたが、ここで私が気をつける必要のあるのは、自分と他者の感覚は違うということをいつも意識しておく、ということです。自分の感覚を持って他者と接し自分のスペースに他者を巻き込もうとしたり、他者のスペースに無断で立ち入らないということなのです。このように意識することは私のプラスの人間関係作りを手伝うと思います。


2016年05月10日(火) 書き出すこと

 ここ数日、心が安定しないので、時間を作って感じていることを気の済むまで書きだすということをしてみました。すると、なにか落ち着かないんだけど何が原因かわからないと思っていたその中身が見えてきたのです。それを自分の文字で確認した途端に気持ちがと〜ってもすっきり♫ それから、書き出す作業を怠っていた自分を反省。私の日常はたいてい毎日あっという間に流れていて、その大半はする必要のあることを優先して気が付いたら夜、そして眠りにつくことの繰り返しです。小さな楽しみはあちこちにあるので良いのですが、あれ?と思ったことは丁寧に整理しておくことが大切だなと改めて思いました。この小さな習慣が、自分の中に眠っている、または混沌としすぎて気が付けずにいる小さなことを発見して心の成長につなげて、感情や周りの状況に流されず、いつも明日を見ている自分を作ります。


2016年05月06日(金) 身体を使ってあげよう

 マッサージのクラスで関節の解剖について勉強をしている時、先生が、「関節は使うためにあるので使わないと固くなって動きが悪くなる」と言いました。私はそのとおりだなぁと思いましたし体のすべての部分に言えることだろうと思いました。病気や故障で動けない時には丁寧に休む必要がありますが健康なときにはやはり体を使ってあげるほうが、身体も喜ぶと実感します。その使い方を丁寧にしてあげられたら、身体はより長持ちすると思います。
 私も今年で50歳。この年月の過去半分以上は、丁寧に生きるということを知らないままでいたので、かなり乱暴に扱っていましたが、現在では、加齢していく自分の体の小さな変化と向き合い相談し合い、バランスのよい使い方をするように意識しています。


2016年04月15日(金) 呼吸法

 先日カレッジで、呼吸法のプレゼンテーションをしたので記録に残しておこうと思います。吐く息を大切にする呼吸法を知ったのは15年位前の第一子を妊娠中のことでしたが、当時読んでいた本(すみません。題名を覚えていません)に沿って実際に行ってみて、私の体に実によく効いて当時関心したのを覚えています。以来私は吐く息優先派で息をしています。しかし、体の反応はもちろん、吐く息優先呼吸が体にいいことは理屈でもなんとなく説明できます。なぜなら、私達は体内の二酸化炭素を吐きだした分だけ新しく新鮮な酸素が身体の中に入れられるからです。それも、息を吸おうと意識しなくても、私達は酸素なしでは生きていけないので、必要にかられて自然に酸素が体内に、必要な分だけ入ってくるのです。
 また、呼吸法では、吸う息は交感神経(私達をより興奮させる)を、吐く息では副交感神経(私達をよりリラックスさせる)を優位にするので、より深く長く息を吐けた分だけ思考と心とそして身体がリラックスするのだと思います。身体への影響を考えると、寝る前や少し神経質になっている時などはもちろん、いつでもどこでも取り入れたい呼吸法だと思います。
 ところで、吐き出した分だけ新しい物が入ってくるという発想は、固定観念を取り除いた分だけ新しい考えが入ってくることに似ています。困っていることや迷っていることも言葉にした分だけ心が開放され、新鮮な気持ちになって新しい視野で物を見ることが出来るとか。このことは “言えると癒える” という言葉そのものですが、呼吸法で言うと “吐けると吸える” なのかしら。このままではなんだか芸がないような気がしますけれど。。。


2016年04月09日(土)

 最近よく座り姿勢での瞑想をします。より心地よい瞑想を行うために必要なのは自分を無に導く環境と自身の座り姿勢だと思います。床などの平らな場所にあぐらを組んで息を吸って骨盤を立て、頭が背骨の真ん中に乗って身体が頭の先からおしりまで一直線になった時、首の骨も背骨も腰の骨も、その上のものがただそれらの上にただやさしく、そっと乗っかっている感覚を感じます。その心地よさは今のところ、他の何にも変えられないくらいのレベルで体が喜ぶ感覚だと思っています。まるで頭から一本の糸がスーーッと伸びて坐骨まで下りているような感覚です。(これからもっと成長するのでこの感覚は又違うものに変化すると思いますが)
 身体の仕組みや小さな変化に気づくために、自分をそこへ導いていく時間を作ることが必要です。私は自分にその時間を与えてあげるのが好きです。


2016年04月05日(火) ダラーンと

 時差ボケで明け方まで起きていることが続いていた中、その時間を利用して行っていたのは、ベッドに横たわっている自分の体の中の動きにイメージを働かせて<お休みの時間>を教えてあげることです。例えば、<足の甲の骨が緩んで骨と骨の間に隙間ができて、そこから呼吸をしている>とか<肩の力が抜けて、腕が重力に負けてダラーンと下に下がっていく>とか。本当にそうなってしまうと思うと恐怖心が湧く方もいるかもしれませんが、寝る時間なのだから、身体が解けてしまうくらいいリラックスしてもいいと思うのです。足の骨と骨の間が、空気が通過できるくらいに空いてしまったら実際には歩けないですし、肩の関節は外れてしまったら腕も上がらないのでリラックスする以外にないと思うのです。笑。意識がある中で、体自身のリラックスしてゆったりしていく感覚が気持ちよくて、眠ってはいないのだけど、身体は休んで、日中も眠かったけれど不思議と疲れはありませんでした。


2016年03月31日(木) 個性

 本日アメリカへ戻ってきました。3ヶ月ぶりのアメリカ帰国ですが、まず私の目に入ったのが色のバラエティーさ、それを通して見たのは人々の個性でした。肌色の違いはもちろんですが、人々が着ているものの違い、(もっと言うと基礎体温の違いなのかもしれないけれど。笑)
 まず、今日のアメリカは、日中はよく晴れて神奈川県と同じ気温でしたのに半袖で歩いている人々が沢山。私は今回日本で経験したことを思い出しました。あるよく晴れて温かい日、当時のアルバイト先の同僚と電車に乗った私は、暑いので上着を脱いで半袖になったのですが、その私を見た同僚は「半袖になるのはちょっと。。。まだ誰もそんなカッコで歩いてないよ」と言いました。又、別のカリフォルニア滞在経験のある友人からは、「ある日のテニス中に、一部のチームメイト達が  “あの格好はないよね。。。” と言っているので彼らの視点の先を見ると、足を出してプレーしている人がいた。自分は海外にいたのでこういうのは平気だけど、暑くても脚を出してはいけないのが日本らしい」
 どちらの経験も、同じであることを好み、又他者に求める風習のある日本の文化だな、と思いました。このようなことを考えるとき、アメリカにも問題はあるけれど、“個” が認められるという意味では暮らしやすいな、と思います。アメリカでは、“一つ一つの違った個性”に足が生えて歩いています。ほんとかな。。。笑。


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