「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は名古屋へ帰る日ですが、日中は2番目の子どもと高校見学へ行きました。今回の約束の一つでした。 現地に早目に着いたので傍の公園で野球練習の様子を眺めました。子どもはテニスを楽しんでいるのですが「投げてみたい。やらせて〜」と何度か言いました。見たもの聞いたことに興味が湧くのは自然なことなのです。そして私も「高校見学に来るのにグローブが要るとは思いもしなかったねぇ」と言いました。 見学の時間になって高校へ入りました。授業見学がありました。耳に残ったのは生徒さんを「おまえ」と呼ぶ教師の言葉でした。生徒さん達は笑っていましたし街中では子どもさん同士で「おれ」「お前」と呼びあっているのを見かけることもあるので呼ばれる生徒さんにも違和感はないのかもしれません。けれども…世界共通の英語ではどんな人と語り合う時も「私」と「あなた」だなぁと思うと…私は将来世界に羽ばたくかもしれない日本の子ども達のことを世界共通の言葉で丁寧に呼んでもらえたら…と思いました。 体育館で説明会がありました。保護者からの質疑応答の時間になり、私も質問してみたいことが浮かびました。けれども、その学校に通うのは子どもなので私が質問をすることは子どもの境界線を越えることかなあ?と思い、質問をしませんでした。 学校長のスピーチでは子どもさんたちに「茶髪の人は居ませんから安心して下さい」と語っていらっしゃいました。私は(こちらの学校では、茶髪はいけないという基準を持っているのだなぁ)と思いました。ちなみに私自身は髪の毛もファッションも、すべてその人・その子どもさんの個人の問題だと捉えています。 帰りに、子どもと2つの事を語り合いました。1つは茶髪のこと。一般社会に否定されている「茶髪」というものを子ども自身はどう感じているのかなぁ?と興味が湧いたのです。私は子どもに「茶髪をどう思うか聞いてもいい?」と尋ねました。子どもは「(茶髪の人は)居ないほうがいいけど、自分はしてみたい」と言いました。私は「そうなんだね」とだけ言い、心の中で(この子がしてみたいことが出来るように手伝いたい)と思いました。 もう1つは、質問を控えた自分がどうだったのか確認したくて湧いた質問でした。 「私ね、質疑応答の時に質問が浮かんだのだけど、この学校に通うのはあなたなのだから私が質問してはいけないと思って止めたの。もし私が質問していたらどう?嫌な気持がしたかなぁ?」。子どもはうなづきました。「そうだよね。あ〜私そうしなくてよかった…」。私は自分と他者との境界線を大切に出来たことを嬉しく思いました。 それからこう語りました。「親は子どもが可愛くて守りたい気持ちの中でついつい余計なことをしてしまうと思うの。でもそれは子どもにとっては迷惑かも知れない。だから私は、あなた達が伝えてくれた事のみを手伝うように意識しているの」。本当に、このように意識することが、子どもが自分を生きられる大人に育つのを手伝うことにつながっていると思います。 帰宅すると夕方。高校見学へ行った子どもを含めた2番目と3番目の子どもはこの晩お友達の家へ泊りに行くことになっていました。3番目の子どものは今朝「(外泊から)帰ってきたらお母さんがいないという悲しい現実」と言い、私は本当にそうだと思いました。そして「又会えるから大丈夫だよ」と伝えました。その子どもは既に出かけていました。もう一度話が出来ると思っていたので残念でしたが、又会えるのですからその時まで楽しみを先送りにすることにしようと切り替えました。 そして2番目の子どもも出かける時間になり、用事をしている私に「バイバイ」と言いに来ました。私が玄関まで見送りに行くと、子どもは私に背中を向けたまま「また来てね」と言いました。親から与えられた、受け入れるしかない現実を受け入れようと頑張っているのが私の心に伝わってきました。私は、帰らないでこのまま居るよ。もう頑張らなくてもいいよと言いたい気持ちに駆られましたが、それは対症療法に過ぎないと分かるから言えませんでした。子どもの言葉をその場で受け入れられる状況が出来るように意識して生活しようと思いました。 家に残っている1番目と4番目の子どもと元パートナーと4人で夕食をとりました。 元パートナーから「いつ戻る予定?」と尋ねられました。私は元パートナーと、最初の頃よりも幅広い話が出来るようになっています。けれども、子ども達の親として一緒に暮らすために大切なことが語れていないのです。そんな自分を説明する事が出来ず「未定」と答えるのに精いっぱいでした。もしも将来、私と子ども達と子ども達の父親とで心を語り合えるようになったとき、私も再びその場所へ遊びに来ることができるのかもしれません。 夕食後、1番目の子どもと大学のパンフレットを見ました。私は「4人のうちの誰かと私の大学生活が一緒になるかもしれないよ」と話をしました。子ども達は4人とも大学へ行きたいと思っているようなので本当にそうなりそうな予感。既に私の中の青写真としてあるのです。 4番目の子どもが「これ縫って」と繕いものを持ってきました。私はそのとき別の用事をしていたので「時間に間にあったらね」と伝えさせてもらいました。そして間に合うように動きました。(どの子どもに対しても同じですが)5歳の時に離れたその子の中にプラスの思い出が増えるように意識して楽しんだ2週間です。そのように意識する事は私にとっても精神史を変えてチャイルドを癒やすことにつながっていると思ったからです。私は最後にもう一度そのきっかけに恵まれたことを嬉しく思いました。縫い上がったものは子どもが気付いた時に持っていくことが出来ればいいことと思い、部屋まで運ばずにリビングに置いておきました。 夜21時半。家を出る時間になりました。 1番目の子どもには「いろんなことしてね。楽しんでね」と、4番目の子どもには「遊んでくれてありがとう。いつも楽しんでね」と伝えました。子どもは母のすることを受け入れるしかありません。私はまだ子どもにさみしい思いをさせています。十分分かっていて、それでも帰るという事をするのは、その方が先に広がるプラスが大きいと感じるからです。それなのに残ることが出来たらどんなにいいかと何度も思い、バスに乗ってもまだ「帰らずに済んだら、一緒に暮らせたら…」と思いました。元パートナーの言葉が浮かびました。例えばもしも私が今から過去の家庭に戻るとすれば、一般的には私の人生も子ども達の人生もうまく納まったように見えると思います。その後、私を含めた家族の中の誰かに辛いことがあっても、離れていた時の事と元に戻った奇跡を思えば取るに足らない事になると思います。人々は「そのうち慣れるよ」と言うかもしれません。けれども、私にはそれがいい方法とは思えない。心を痛めて会社を休んで元気になった人が会社に戻ると再び疲れて動けなくなるのと同じだと思うのです。そして、私が過去の方法の中で生きるという事は子ども達にも過去と同じ事を要求することになるように感じます。 夜の新宿は連なる飲み屋さんの電気で昼間のように明るく外国から来ている観光客らしい人々がたくさん歩いていました。その中をスーツケースをゴロゴロ押して歩く。その私の心はまだ2週間の生活の余韻の中に居ましたが、けれど、興味深く思ったのは前回のように疲れているのとは違うということでした。 しばらく歩くうちに、まずは車内でゆっくり寝れるようにしようと自然に切り替わっていました。私は心から安心出来して自分を生きられる時、自分も子ども達も大切にすることが出来ます。
昨晩子どもの一人が「お父さんが定年になる頃には、私は孤立しておかなければ…」と言いました。そのことで元パートナーと私の3人で「独立」と「孤立」の話になりました。元パートナーは「孤立にはさみしいイメージがある。社会の認識がそうだ」と語り、私は「そうだよね。漢字には本来の意味があるのに人々が勘違いして捉えている部分があるよねぇ」と返事をしました。元パートナーは私に「二つの違いを説明してみて」と言い、私は思いつくまま語りました。 私の語った事は、「独立」とは家族や会社など今まで所属していた集団から離れて一人で動けるようになることで、「孤立」とは個・人として生きていけること、です。語ったことがどうかはわからないですし、語りの途中で(もっと掘り下げて語れるようになりたいなぁ)と思いましたが、このような空間を持てたことがいいと思いました。 ちなみに、私は新聞を読むのが好きなので滞在中は名古屋から東京へ配達先を変更しています。子どもの一人は新聞に興味を持っているので、私達はそれを材料にして語り合うこともあります。又、子どもの方は学校の授業で私の知らない事を吸収しているので、そちらを材料にして語り合う事もあります。「親子で社会を語り合うってこういうことなのだなぁ」と何度も思います。好奇心があるといつも成長出来ます。
昼間、最寄りの市役所へ行ってみると「市長への手紙」と書かれた封筒があったので、チラシを入れて投函しようと思い付きました。けれども家に戻ってから改めて優先順位を確認しました。私がどこで暮らしていてもプラスに動くとアイデアが浮かんでくるのですが、果たして今ここでそれをしてもいいのかな?と。 それから、私には本を書いた後にすることの優先順位上位がひとつ残っているのです。それは本を持って姉に会いに行く事です。こちらは金銭的なことがあるのですぐには無理ですが、それが出来るように意識して動いた方がいいと思いました。そして優先順位のトップはいつも心を大切にして生きられることです。 そんな気付きも手伝って、週末に名古屋へ戻ることにしました。昨晩子ども達に伝えると、子どもは私に「なぜ帰るの?」と繰り返し尋ね、食卓はシンとしました。私も、子ども達を手伝えることを嬉しく思っていますし、その関わりを通して自分が成長していくのを見るのは楽しいのです。それに、料理や家の中の事を別にしても遠くに居るよりも近くに居る方が出来ることが多いと実感します。それは子ども達が小さい頃に、私に言えなかったこと・出来なかったことが、今そうしたいと感じた時その場で出来るよう、その事を受け入れられる私が傍に居るということです。けれども私はもう一度名古屋へ戻ります。生活を満たすだけでなく子どものスキンシップ不足の補いを手伝うためには私自身がもっと・いつも自由である必要があって、その為にはもっと丁寧にする必要があると分かったからです。そして、このように心を基準にしていたら、離れていても何かが出来ると信じています。 夜、子どもが塾に通うための手続きを手伝いました。子ども自身が望んで通うので、これも手伝いの一つだと思い楽しみました。けれども私は、学校の先生が子ども達が授業の中で理解できるように伝えることが出来たら、子ども達は塾に行かなくても済みますし、その時間を他の楽しみに使うことが出来ますし、例えば数独の解き方のように楽しみの延長で出来るようになることがあるのになぁと思いました。私は全てのことは遊びの感覚の中で学んでいけるものだと、私自身の体験を通して感じています。
チラシのポスティングをしました。以前介護の仕事をしたときにもしたことがあるので2度目なのです。 マンションの集合ポストに入れると早いのですが、味気ない気がしたので一軒家の方へ方向転換しました。 一軒家にはいろんな形をしたポスト。入口が鉄のように重たいものもありました。そのお宅にお住まいの方がポストを空けたとき文字と私の顔写真が視界に入るように工夫して入れました。本を書いたこともチラシを作ったことも私の自己満足に過ぎないのだけれど、街頭でチラシ配りをした時と同様に、他のチラシとは違うと気付いてもらいたいと思うのです。 配っているうちに「どんな方が住んでいるのかなぁ?」と想像が膨らんで楽しくなってきて…。この楽しさを一日で終えるにはもったいないので明日の楽しみに残して帰りました。 帰りに繁華街に出てみました。先日の朝日新聞にはデフレ宣言のことが載っていましたがデパートから買い物の袋を提げて出てくる人も多く見かけました。私は経済の事はわからないのですが、人々が不景気という基準はどこなのかなあ?と小さな疑問が湧きました。例えば公園の炊き出しを利用して生きている方々はずっと前から不景気だと思います。それから収入が少ないことを不景気と言うとすると、私も不景気になるのかな?でも私は心を基準にして生きているのであまり苦になりません。持っている分で楽しめる、という感じなのです。きれいなお家よりもポケットに小銭を持って身軽に歩きたいのです。それでも生きていくのに金銭は必要ですから、名古屋へ帰ったら少し働こうと思っています。
子どもの一人とロッククライミングというスポーツを体験しました。ロッククライミングというのは手と足だけで壁を登っていくスポーツで、新聞折り込みのチラシを見た子どもからお誘いがあり、私もしてみたいなぁと思っていたので一緒に行かせてもらったのです。 お店の中に入ると、事前にチラシで見た以上に料金がかかることが解りました。子どもとの動きに必要な金銭は元パートナーのものを利用させてもらっていますし、私は現在無職ですので迷いました。ところが、その私を見る子どもの目が…。それは未知の世界への好奇心だと分かりました。その事を手伝いたい・体験してもらいたい(表現がいいかどうか分かりませんが…)と思いました。 手続きをしてその場所へ行くと、10畳くらいのスペースの周囲の壁に大小の石がくっついていて、人々がスパイダーマンのようにその壁を登っていました。壁は70度くらいのものから直角、80度くらいのものや逆さまのものなど数種類。足の指が折れるくらいのきつい靴を履いて手にはチョークをつけて壁にトライしました。指の第1関節をよく使うので、以前ふすまの桟でケンスイをしていたことを思い出しました。 何度か Try しているうちに「壁と仲良くする事」を思いつき体がコツを掴んで…最初は無理かなぁ?と思っているところにも辿り着きました。 私が子どもよりも少し先に達成すると、子どもから「どうやったの?」と尋ねられました。そんな時、私は少し語ることを意識して、それから「壁と仲良くするの」と伝えました。すると、子どもは「そっか」と言って Try し、ゴールに到着した時は満面の笑みでした。その様子を見て「その物と仲良くする」はいろんなことに使えるなぁと思いました。 何かと仲良くすることはその時の流れに乗る事に似ています。私もこの滞在期間、自分と仲良くして時間の流れに乗って時を過ごします。
3連休のまん中の日。午前中は約束の二つ目のテニスをしに行きました。 テニスは子どもの頃に遊んだことがありますが、最初はラケットを振る時に野球のバットを振る時のようになってうまくいきませんでした。それでもしばらくすると慣れてきて感覚を取り戻してきました。感想として二つのスポーツを一緒にするのは難しいと思いましたが遊びの1つとして楽しみました。 午後は家でのんびり。リビングでパソコンを広げていたら子どもが見に来ました。私の日記を読んだ子どもから「チャイルドが出てきたの?」「チャイルドは何と言ったの?」私はその時の様子を思い返して返事をしました。癒やしたチャイルドのことをうまく説明出来ませんでしたが、子どもの好奇心って面白いなぁと思いました。「ファシリテイターって何?」という質問に答える時、私はその事をしている私を大切にしようと改めて意識しました。 そんな私の方は子ども達と生活を共にするようになって時々「あ、ミスしたなぁ」と感じることがあるのです。そして、そんな時はそのことに気付けた私を大切にして同じ事をせずに済む方法を探します。具体的な方法が浮かぶこともありますが最後は、私をする・心を大切にするというところにたどり着きます。つまりここは原点なのです。
家族皆が休み。朝、新聞にある間違い探しのゲームにTryしていたら子どもが起きてきて、その横にある難易度4の数独をしたいと言い、ある方法を使って解き始めました。 子どもは「この方法で解けないはずがないんだよね」と言いました。 私は最初意図が見えませんでしたが、そのうちに私にも出来そうな気がしてきて、分かるところを答えて、二人で30分で完成しました。その方法は4人の子どもたちに共通のもののようですが、学校で習ったのではなく遊んでいるうちにそうした方がいいことが解ったと、小学校6年生の子どもが言いました。私も…。今度は一人で難易度4でもTryしてみようとワクワクしました。子どものすることを真似してみると成長出来るのです。 午後からは娘との約束になっているプリクラを撮りに行きました。撮ったプリクラに文字を書くところで子どもの一人が「ずっと一緒に居られるように」と書きました。そのように出来たらいい。そして私は又、もうすぐ名古屋へ帰ります。こんな時私の心は複雑な気持になります。子どものしたい事を手伝う母。どこでどのように?出来るところを出来る範囲で。それが私にできること。出来あがった写真を見ながら自分に言い聞かせました。私は一人の人で、1つずつなら進めます。 家族で夕食をとりました。気のせいか、夕食の話題に度々経済的な展望のような話になります。子ども達は「遠地にあるマンションを売ればいい」とか「車は中古でいい」とか言います。そして一般に大人の世界は見方が違っています。 私はシンプルな世界が好きで子どもの見方に近いです。リュックサック一つで旅に出てプラスの思い出を詰めて日本に帰ってこれたこと・ベトナムの方々との暮らし・帰国後に心の投資金とお借りした金銭でスタートした生活。ヒトは希望を持っていたら少しのお金を大切にして生きていけると心から思います。それに最近では、お金は後から付いてくるという言葉を大切にして生活出来るようにもなりました。星空の下で寝袋で寝てみたいなぁ〜と思っていたらいつかできるような気がしている 43歳のヒト・そして母の私は本来持って生まれものをそのまま使って生きられるよう、子どものような好奇心とシンプルさを大切にしています。
数日前、家の近くの施設で某大学精神科教授の講演会があることを知り、その場所でチラシを配ることが浮かびました。本に関する何かをしたい気持ちの延長でもありました。今日、終了の2時間の講演会の終了30分前に会場へ入りました。そこには統合失調症と言われている方のご家族が集まっていました。 講演はまもなく終盤になり質疑応答の時間に。私は思いついたように手を挙げました。 「私は過去、うつ病・パニック障害などの診断を付けられ薬を飲んでいました。子どもを虐待して、そのあと多重人格ということが解り子ども達と離れて心の作業に専念しました。今年で7年経ちました。今は作業の体験をまとめた本を出版出来るまでになりました。子どもたちとも再会して虐待していたことを謝罪出来るようになりました。仕事はずっとしていましたが社会に出ると早さを求められ付いていけなくて度々転職しました。でも、私はこれからも私のペースでゆっくり歩いてもいいですか?」。教授は「いいですよ。健康が大切ですからね」と言われました。 実は手を挙げたのは本当に思いつきでしたし、その答えが私の世界とは違うことを私は理解しています。 会の終了後会場の方数人にチラシを受け取っていただき、一人の男性が本を購入して下さいました。帰り支度をしている教授にもチラシと名刺を渡しました。この時は少しドキドキしました。 家に帰るとチャイルドが出てきて、手を挙げた理由が解りました。私は過去とは違う自分を確認したかったのです。教授に自分を伝えたのは過去の傷を癒やしたい私の行動だったのです。原体験が出来たような気持ちになりました。
夕飯の時、子ども達が「昔の事を話して」と言いました。私はそれぞれの子どもの事で覚えている事を語りました。一番下の子どもが5歳の時に行ったキャンプ場で手を切って縫った時のこと。それは私が覚えている、謝罪したい記憶の1つでした。私が「ごめんね」と言うと子どもは少し照れたような表情になりました。私はその子を含めた4人の子ども達の前で謝罪することが出来てよかったと心から思いました。 その後も幾つか話をし、子どもの一人が「子どもは好奇心を持っているんでしょう」と言いました。そうなのです。子どもは好奇心を持っている。そして私も好奇心を持っている。 子どものように純粋な心で私の中の好奇心と感覚を使っていろんなことを経験したい。 その為に、私は社会の波に飲み込まれず私自身を大切にします。
子ども達へ、私の人生のファシリテイトをありがとう。
昨晩は遊びの延長で長女の布団に入りました。狭いから寝れないかなぁと思っていましたが長女も何も言わず、私達はそのまま朝まで一緒に寝ました。私は子ども達との日常の小さなやりとりが過去にしてきたマイナス母の補いになることを、いつも心の片隅で願っています。 今日は、日中は Mamo本の話になり少し意外だったことが…。 2番目と3番目の子どもは本を受け取って1週間のうちに読んでしまったそうなのです。私は自分の書いたものですが読むのは休み休み。子ども達の読みの早さに感心しましたが、実は(この早さは読み流した感じかなぁ?)と思っていました。その私に子どもが「内容を言ってみるよ」と言いました。子どもは「最初にいろんな人の名前があって、その子達はだんだん良くなっていって、それから最後の方はお母さんの…」と。子ども達は人格達の言葉のページも読んでいたのです。私が再び感心していると、子どもが「子ども達の能力をあなどるでないョ」と言いました。私は「はい、ごめんなさい」と謝りました。 子どもが語った中の「その子達はだんだん良くなって…」という言葉。“どんなに苦しくても自分を見つめた分だけ楽になるということ”を感じ取っていたら嬉しいなぁと思いました。そして、子ども達はそのことをその子自身の経験から、可能性(すると出来る)という形で感じ取っているようにも思いました。 子どもは「子ども達のことをもっと書けばもっと売れると思うよ」と言いました。私は「もし皆のことを文章にしたら、それをみんなに読んでもらって本にしてもいいかどうか確認するね」と答えました。子ども達から学んだことを本にする。そんなことが出来たらそれもいいと思います。 その私のすることは、私の感じたものを大切にして、ニュートラルを意識して、自分に丁寧に生きることです。
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